アイコサンはモスクワに来る前、軽井沢では「瞑想の日々」を送っていたのですが、
その時の瞑想のお仲間と一緒に「世界瞑想の旅」に出たようなのです。後に聞いたと
ころによると、インドのゴア、ギリシャのサントリーニ島、イギリスのブライトンに
数か月ずつ、滞在していたそうです。ゴアでは瞑想、サントリーニ島では海岸で拾っ
た小石に絵を描いてそれを路上で売ったりもしていたとか。モスクワでの銭ゲバ生活
の汚れを洗い流す時間だったそうです。
軽井沢に戻った愛子さんは、今度は家探しに熱中しました。それまで長年にわたって
借りていた家は大家さんが亡くなって売却されることになり、退去を求められていた
のです。軽井沢仲間の案内で家を探していたところ、茂沢のはずれの家に行き当たり、
古い夏用の小屋をくるむように 2 階と屋根裏を増築することになりました。この先、
愛子さんの膨大な熱量はこの家と庭に注入されることになります。
モスクワで平穏な日常が続いている間は愛子さんは見向きもしません。しかし、「大
家が無体な家賃値上げを要求している」「値上げに応じないなら出ていけと言ってい
る」という非常事態になると、軽井沢からモスクワに飛んできました。対立し、交渉
し、事態を治めるとまた軽井沢に去る。
そんな「事態」の中でも最大級だったのが 2004 年。1991 年にリフォームをして営業
を続けてきたホテルとレストランを失うことになりました。大家が契約更新を拒んだ
のです。
東京の斎藤憐も「もう、どうしようもないのか」と、撤退を認めてくれました。「だけ
ど、従業員の生活は大丈夫なんだろうか?」と呟きつつ。
アイコサンとレストランを続けてきたラリーサをはじめとするオバサンたちの顔が
ちらつきます。ラリーサとその夫のキムさんが親身になって移転先の候補を探してく
れました。そしてモスクワ南西部のホテルの 21 階にホテルを、1 階にレストランを
移転することになったのでした。しかしここも長くは続けられませんでした。モスク
ワは好景気が続いていてホテルの稼働率はぐんぐん上がる。そうすると私達に貸して
いる部屋を、自分たちで稼働した方が儲かる、という計算が出てきます。5 年契約だ
ったなんて問題にならない。2007 年の夏、「来年から家賃を二倍にする」と大家が言
い出したのでした。アイコサンがモスクワに戻ってきて、ラリーサをまじえて相談の
日々。結論は、「ホテルは契約を解除する。レストランは続ける。ただし日本人は帰
国。あとのことはラリーサに任せる」 そして 2007 年の大晦日にアイコサンと私は
成田空港に到着しました。
明けて 2008 年。リーマンショックが世界を揺るがせました。私はほんとうに、ほん
とうに、胸をなでおろしました。もしも家賃値上げに応じてホテルを続けていたら、
取り返しのつかない大コケとなっていたかもしれなかったからです。
私は青梅街道沿いのマンションに戻ってモスクワ生まれの猫と共に暮らし始め、愛子