うことが判明したのは 9 月も半ばになった頃でした。ようやく正体が判明したので抗 がん剤治療が始められる、とお医者さんが言った時、愛子さんはきっぱりと言いまし た。「先生、私は抗がん剤はいやなので、家に帰ります。でも痛いのはイヤなので、訪 問医療をお願いしたいです。どなたか紹介してください」 先生はあんぐりと口をあけて、口を閉じ、「はい。なるほど。訪問医療ね。はい。わか りました」とどこかに電話をし始めました。 この当時、軽井沢町には包括センターのようなものが存在せず、佐久市のはずれのセ ンターから看護師のチームが週 3 回、軽井沢町の往診をしてくれる医師が週 1 回、来 てくれることになり、息子が仕事を休んで同居してくれることになりました。 モスクワにいた頃、愛子さんは「私が死んだら遺骨を粉にして、赤の広場のはずれの あそこの木の下に撒いて」と言ったことがあるので、「他にも撒いてほしい場所はあ る?」と愛子さんに聞きました。すると愛子さんはふふんと笑って「そんなのは生き てる人の感傷ね。私にはもう、どうでもいいこと」と言い放ちました。わあ、すごい ことをおっしゃる、とおののきました。長年の瞑想の目標は、この世界に戻ってくる ことなく光となって宇宙空間に消えていくことだそうなので、どうやら光になる準備 は整っているようでした。 と、思っていたのですが、息子が母に「思い残すこと もうないのかな」と聞いたとこ ろ、「たくさんあるに決まってるじゃない!」とブチ切れたそうなので、アイコ魂はそ んなに簡単には鎮まるわけもないのでした。 家に戻って2ヶ月後の 11 月に亡くなった愛子さんの「粉」は、愛子さんお手植えの ソメイヨシノ(ヨシノちゃんと呼んでいた)の根本、息子を生み育てた藤沢海岸、横 浜の外人墓地のお母さんのお墓に撒かれました。イギリスの瞑想仲間がブライトンの 海岸にも撒いたそうです。 愛子さんから聞いたエピソードでお気に入りのものをいくつか。 ☆パリに旅行に行った時。サンダル履きのウェイトレスがくわえ煙草で料理のお皿を 運んできた。「そんなことして、いいんだ!?」と感動して、「なにをしてもいいんだ」 という確信をもらった。 ☆離婚してシングルマザーとなり、朝は喫茶店、昼は事務仕事、夜は銀座の店のクロ ークで働いていた。「目標は貯金 500 万 独立してあんみつ屋をやる」 ある冬の夜、 新橋の山手線ホームで寒風に震えていた愛子さんは、翌日、貯金をとりくずして毛皮 のコートを買った。「あったかかったわよー」 夜の新橋の高架線ホームで毛皮にくる まって眼をきらきらさせている愛子さんが見えるようです。 他にもいくつもの印象的なエピソードがあるのですが、しかし、実は愛子さん亡き後