機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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ショパンを弾けるようになりたい! 佐々木 毅( テノール )

「 自宅にグランドピアノを置く 」 という念願は叶ったのですが、道具は立派でも肝
心の腕前の方が上がらないことが残念です。それでも私の鍵盤楽器歴をさかのぼると
記憶は定かではないですが、小学校 1 年生頃からオルガン教室に通い始めたのが最初
です。東京の(たぶん)渋谷で開かれたオルガンの発表会に出た写真が残っているも
のの、何を弾いたのかは全く記憶がなく、「(渋谷で)とてつもなくでかい歩道橋を見
た」という、どうでもよい記憶だけが残っています。

小学校3年生まではオルガンを習っていたのですが、先生の部屋にあったピアノに
興味を持ったらしく、4年生の1年間だけピアノを習いました。しかしながら不真面
目な生徒は他の遊びに夢中で、教室に通う直前に慌てて練習するも練習不足を先生に
指摘されて、いつも叱られていたように思います。

教室をやめる前に練習していたのは「メトカーフの優美なワルツ」など簡単な数曲
で、結局ピアノへの興味が薄れていき、5年生以降は野球少年となってしまいました。
中学生以降は野球からバスケットボールに転向し、引き続きピアノとは縁遠い生活と
なっていました。今思えば、この頃しっかり練習していれば、現在こんなに苦労しな
かったのではないかと悔やまれます。

そんな私が再びピアノに戻ってきたのは大学に入ってから。小学生の頃からクラシ
ック音楽の鑑賞をしていた私は、この頃にショパンのピアノ曲を聴いて感銘を受けて
いたこともあり「何とかこれらの美しい曲を弾けないものか」と無謀ともいえる思い
を持つことになります。そして、いきなりノクターン2番の楽譜を購入して家のアッ
プライトピアノで練習を始めたのでした。(この曲はノクターンでは最も有名ですね)

経験があるといっても素人が突然「ショパン」ですから上手くいくはずもなく、譜
面を見ながらだと手が動かないため、「少しずつ覚えながら弾く」を繰り返して最初
の数小節を覚えるのに1週間くらい要した記憶があります。1曲まるまる覚えるのに
3か月くらい費やしたのではないでしょうか。その頃の楽譜には、一音ずつ「ドレミ

…」をふるなど涙ぐましい記録が残っています。(後で見返すと暗譜の間違いも多々
ありましたが…)

ショパンのノクターン2番が、ピアノにそれなりに取り組み始めた最初の思い出で
す。社会人になってからも趣味の一つとして、電子ピアノで細々とショパンの比較的

簡単な曲を練習したり、ショパンの難曲の簡単な部分だけを弾いたりして楽しんでい
ました。

モーツァルトやベートーベンの曲も少しチャレンジしてみましたが、私には苦手な
走句(音階を速く弾く部分)が多くて指が追い付かない。また一度に弾く音数が少な
く意外とシンプルにできている(私の偏見)ためごまかしがきかず、私には持て余し
気味でした。一方ショパンは音数が多い(これも偏見)ので、テンポが速い曲でなけ
れば何となく形になり演奏できている気分になれました。それでショパンばかり挑戦
することに…。

さて軽井沢に引っ越してからは、グランドピアノもあり、時間もたっぷりあり、練
習も心置きなくできる環境となりました。(そんなに猛練習しているわけではありま
せんが…)少しでも指が早く動くように鍛えるため、庭仕事のない冬にハノン(指の
筋トレのようなピアノ教本)の練習もしたりして、以前は弾けなかったフレーズが少
しずつ弾けるようになってきたように思います。

最近よく弾いている曲は、ショパンのノクターン 2 番(前出)・8番・13 番、及び
バラード 1 番。ノクターンは比較的緩やかな曲で、8 番は左手の分散和音の上に美し
い旋律が流れる曲。13 番は深い情緒に満ちた、ノクターンとしては劇的な曲で、どち
らもノクターンの中では少し難しいのですが、気に入って何度も練習しています。バ
ラード 1 番は走句もあり極めて難しく、私が弾くと通常の演奏者の 1.5 倍くらいの演
奏時間になってしまいますが、何とか全体を覚えたところです。ご興味のある方には
これらの曲の「プロ」の演奏を聴いていただきたいですね。

ショパンというとワルツなど軽快で親しみやすい曲をイメージされる方が多いか
と思いますが、人生後半には芸術性の高い有名な難曲が多く作曲されており、英雄ポ
ロネーズ(作品 53)、スケルツオ 4 番(同 54)、ピアノソナタ 3 番(同 58)、舟歌(同
60)などが含まれます。その中でもバラード 4 番(同 52)は私の最も好きな曲で、い
つかはこの難曲が弾けるようになりたいと願っています。(いつのことになるやら…)

ショパン以外の作曲家のピアノ曲も少し始めました。ドビュッシー「アラベスク 1

番」、ラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」の 2 曲で、以前冒頭のさわり部分だ
け手を付けて投げ出していたものに改めて取り組んでいます。これらは皆さんも一度
は耳にした曲ではないでしょうか。

さて、毎日のように練習はしていますが、自己流で弾いているにすぎませんので、
皆様の前で披露することはないです。暖かくなると窓を開けて練習することもありま
すので、私の家の近所をお通りになることがあれば、ぎこちないショパンがお耳に入
ることもあるかもしれません。ご容赦ください。(笑)

歌は ことば 谷川俊太郎の詩 白枝 庸介( バ ス )


今年演奏する反戦歌『死んだ男の・・・』の詩文解釈について、先の TUTTI 58 号
に四の五の書きましたが、或る絵本の巻末に収録された談話『 92 歳の谷川俊太郎が
いま思うこと』の冒頭部分に、氏のこんな戦争観がありました
。


いまの混沌とした時代についてどう思うか、聞かれることがあるんだけど、僕の場合は、
小さいときから戦争が始まっていて、小学生から中学生にかけて東京が空襲されて焼け野
原になったりしているのを目の当たりにしてきたんですよ。戦争のリアリティというのを
割と小さい頃から知っていたんだね。(中略)

やっぱり戦争は嫌なんだけれど、これはもう、人間の運命というか、宿命みたいなもの
で、いくら未来になっても戦争は終わらないだろうという感じをもっていますね。

一種の諦めのようなものなのだけれど、そこに あるリアルな感じ というのを持ってい
たほうがいいのではないかと思います。人間はやっぱり争うからね。

つまり、この詩の一番から三番は象徴的・比喩的表現ではなく、谷川少年にとっての
リアルな戦争の情景であり、四番は救い難い人間の宿痾への達観であったようです。

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□死んだ男の残したものは


一. 死 ん だ 男 の 残 し た も の は

二.

死 ん だ 女 の 残 し た も の は

ひ と り の 妻 と ひ と り の 子 ど も


し お れ た 花 と ひ と り の 子 ど も

他 に は 何 も 残 さ な か っ た


他 に は 何 も 残 さ な か っ た

墓 石 ひ と つ 残 さ な か っ た


着 も の 一 枚 残 さ な か っ た


三. 死 ん だ 子 ど も の 残 し た も の は 四. 死 ん だ 兵 士 の 残 し た も の は
ね じ れ た 脚 と 乾 い た 涙 こ わ れ た 銃 と ゆ が ん だ 地 球

他 に は 何 も 残 さ な か っ た 他 に は 何 も 残 せ な か っ た

思 い 出 ひ と つ 残 さ な か っ た 平 和 ひ と つ 残 せ な か っ た


五. 死 ん だ か れ ら の 残 し た も の は 六. 死 ん だ 歴 史 の 残 し た も の は
生 き て る わ た し 生 き て る あ な た 輝 く 今 日 と ま た 来 る 明 日

他 に は 誰 も 残 っ て い な い 他 に は 何 も 残 っ て い な い

他 に は 誰 も 残 っ て い な い 他 に は 何 も 残 っ て い な い

谷川俊太郎

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しかし五番、六番は、戦争の因果応報や人間の宿命とは別次元の氏の“悠久の自然観”
だと思われます。僕には『 過去も未来も無い あるのは永遠に続く「今」だけ 今を

しわ

精一杯生き切れ』との禅僧の説教が聞こえてきますが、いずれにしても眉間に皺など

寄せずに淡々と歌って良いのでしょう。


歌は「ことば」、言葉は「おと」


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文芸誌の谷川俊太郎「特集号」のインタビューに、
ことばと文字について語っているものもあります。


『 言語の最初は音でしょう。ひらがなって日本語
としてことばの始まりみたいなところがある。表音
文字であるひらがなで書くことで昔に遡れる感じが
あってね。“質感”みたいなものが日本語の基本に

あると思う 』『 今は文字文化のほうが圧倒的。書物が普及すると人は文字を読むこ
とを主とし、声に出す機会は少なくなる 』『 意味を大事にするが、ことばの手触り
に近い皮膚感覚的なものを大事にしない。意味ばかり求めずテクスチャーを通じて
それをただ感じること 』•••

処女詩集『二十億光年の孤独』の「世代(から抜粋)」 をみてください。


―――― 詩をかいていて僕は感じた

漢字はだまっている カタカナはだまっていない

カタカナは幼く明るく叫びをあげる アカサタナハマヤラワ
漢字はだまっている ひらがなはだまっていない

ひらがなはしとやかに囁きかける いろはにほへとちりぬるを

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あ~わかるわかる、と頷いた方々!・・・もうお判りですよね。文学の「詩文」は文字
を目で見て言語的意味を介して味わうが、音楽の「歌詞」は音を耳で聞いて身体言
語的に感じる、ということを。 となれば、楽譜の五線譜の下に歌詞がカタカナや
ひらがな で書いてあるのは実に正しい表わし方であり、👉に出して歌うことが詩の
正しい味わい方 だということになります。

・・・と、また今回も理屈をこねましたが、僕といえば、音とリズムを外さぬこと
に精いっぱいで、歌っている最中に詩の意味を味わう余裕などありません。


【編集後記】

☆曲名をネット検索ですれば簡単に音楽が聴ける時代ですので、ぜひとも佐々木さんのお好きな
ピアノ曲を聴いてみましょう。佐々木さんの日々のピアノの時間を尊敬いたします!

☆「歌はことば」「ことばは音」 意味に溺れることなく淡々と、ことばが聴いている人たちに
伝わるように歌うことを、心がけます。(岡田)

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