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その年のヨロンマラソンは、春ではなく十一月に開かれた。
もともとは春開催のはずだったものが、少し季節をずらして、秋の終わりの与論へや
ってきた。
私はそのことを、どこか与論らしいと思っていた。
きっちりと並んだ予定よりも、島の事情や、人の暮らしのほうに少し歩幅を合わせる
ような感じがしたからだった。
与論島へは、那覇港からフェリーで向かった。
五時間弱ほどの船旅だったと思う。
数字としてはそれくらいでも、海の上の時間というのは、時計の針どおりには進まな
い。日常から離れ人の気持ちを少しずつほどきながら、陸の生活から切り離していく
夢み心地のやわらかな時間だった。
船の中には、静かに座って海を見ている人もいた。
荷物を枕にしてうとうとしている人もいた。
その一方で、まだ昼の気配が残っているうちから、もう缶を開けている人たちもいた
笑いながら「前夜祭の前の前夜祭だね」と言って、つまみを回している。
真剣にマラソンの記録を狙っている人もいるのだろう。
けれど、それと同じくらい、この船には、島の空気と酒と人の気配を味わいに来た人
たちの、ゆるやかな高揚が流れていた。
船内は、旅人たちの匂いに溢れていた。
潮の匂い、少し油の混じった機械の匂い、売店のカップ麺の湯気、そして缶ビールや
焼酎の匂い。
それらが混ざって、不思議と心をほどいていった。
甲板に出ると、風が頬にまっすぐ当たった。
海はただ青いのではなく、青の表面に薄い銀色をとかしたような色をしていた。
陽の位置が少し変わるたび、海面の表情も変わる。
やがて与論島が近づくころ、海の色がふっと浅くなった。
波しぶきが、海そのものを活発に明るくしているようだった。
島は海に浮かんでいるというより、光の上にそっと置かれているように見えた。
与論島が近づくにつれて、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。
まだ近づいたばかりなのに、ハーフマラソンをちゃんと走り切れるのかという不安に
おそわれた。
空は晴れ渡っているのに、気持ちだけが既にひるんでいた。
宿の夕方
港から宿へ向かう道すがら、与論島の空気は本州の秋とまるで違った。
十一月なのに、寒さが正面からやって来ない。
風はあるのに、その風に生ぬるい丸さがある。
肌を切るような冷たさではなく、海の湿り気を含んだ既に夏を予感させるやさしい風
だった。
泊めていただいたのは素泊まりの宿だった。玄関には島の砂が少し入り込んでいて、
廊下にはよく乾いた布の匂いがした。
宿というより、少し遠い親戚の家に泊めてもらうような気持ちになる場所だった。
「 マラソンですか」
宿の方にそう聞かれて、はい、と答えると、「じゃあマラソンまで あんまり無理しな
いでね。
それからー。
はい、これが掃除機で、これタオルね、分からないことがあったら聞いてね」
と言って簡単に説明だけして部屋を後にした。
もう昔から知っている人に言うような軽い調子で返してくれた。
その言葉の馴染みやすさだけで、だいぶ救われるものがあった。
荷物を置いて、外に出た。
宿のまわりは静かで、聞こえるのは潮風と、遠くからやってくる波の気配だけだった
空は広く、雲が低くなく、水平線まできれいに抜けている。
海を見ていると、時間というものが、分刻みではなく、潮の満ち引きに合わせて進ん
でいるように感じられた。
そのときだった。
沖のほうに、白いものがふっと立ち上がった。
一瞬だけ、細く、煙のように見えた。
見間違いかもしれないと思って、目を凝らした。
波が砕けたのかもしれない。
光の具合かもしれない。
でも、次の瞬間にはもう消えていた。
庭先で作業していた宿主も海のほうを見ていて、
「 いまの、潮吹きみたいだったねえ」と言った。
「 鯨ですか」
と私が聞くと、
「 どうだろうね、もしかしたらね」
とウィンクするように笑った。
十一月の与論では、クジラの季節には少し早いのかもしれない。
それでも、あの一瞬の白い立ちのぼりを見てしまった以上、私はあれを鯨かもしれな
いと思いたかった。
旅先では、確かなものより、心が選んだもののほうが長く残る。
本当に鯨だったかどうかより、
「 もしかしたら鯨だった」という気持ちのほうが、与論の夕方によく似合っていた。
前夜祭
夕方になると、島の中にはもう、明日のマラソンへ向かう気配がやわらかく満ちてい
た。
前夜祭の会場へ向かう人たちの流れに混ざると、島の人も、島の外から来た人も、み
んな少し浮き立っているのがわかった。
けれど、それは勝負の前の張りつめた空気ではなく、明日を楽しみにしているお祭り
の顔だった。
会場に入ると、そこには与論島らしい本土の人との交流でにぎわいが広がっていた。
舞台があり、拍手があり、笑い👉があり、料理の匂いが漂う。
ただのマラソン大会の集まりとはまるで違った。
旅人が島の行事の輪の中へ、自然に招き入れられているような近さがあった。
知らない人どうしでも、隣り合えばすぐ言葉が生まれる。
どこから来たのか。
フルなのか、ハーフなのか。
去年も来たのか、初めてなのか。
そのやりとりのどれにも、よそよそしさがなかった。
島の人たちは、まるで「よう来たね」とでも言うような顔で、自然に輪の中へ入れて
くれる。
舞台では島の空気を感じさせる催しが続き、拍手や掛け👉が起こるたび、会場全体が
やわらかくひとつになっていった。
観光のために整えられたものというより、もともとこの島にあるコミュニティに、こ
ちらが少し混ぜてもらっているようだった。
与論島は海がきれいなだけの島ではなく、人が集まったときの空気そのものに、あた
たかさがあるように思った。
与論献奉(よろんけんぽう) という、黒糖焼酎で客人をもてなす与論島の伝統的な酒席
の作法があると聞いた。
その名を知らなくても、杯を囲む人たちのやわらかな空気にふれると、ただ飲むため
ではなく、人を迎え入れるための習わしなのだと自然に伝わってきた。
お酒の強い人も弱い人もいて、にぎやかなのに、押しつけがましさはない。
すすめる人はちゃんと相手の顔を見ていて、無理をさせるためではなく、その場の時
間を分け合うための杯なのだと、見ているだけでわかった。
明日、本当に走る人たちなのだろうかと思うほど、すでに出来上がっている人もいた
でも、それもこの大会らしかった。
真面目に記録を狙う人の横で、明日の景色とごちそうを楽しみにしている人が待ち遠
しそうにただ笑っている。
歩いてもいい、飲んでもいい、会話してもいい。
走ることだけが目的ではなく、島を丸ごと味わうために集まっている人たちの催しな
のだろうと思った。
美術の先生をしている友だちと会う夜
前夜祭のあと、仲良しの友だちと食事をした。
彼女は美術の先生をしていて、会うたびに、ものの見方を少し変えてくれる人だった
顔を合わせると、島の空気も手伝って、すぐに笑顔を分け与えてくれた。
彼女は彼女が働いている学校のことを話してくれた。
子どもたちの絵のこと、海の色のこと、与論では影まで明るいこと。
明るさが本土と違うために配色の調合がかわること。
なるほどと思った。
昼に歩いた道を思い出すと、たしかに影ですらサンゴの白さと空の青さが島を包んで
どこかやわらかかった。
私は明日の不安を話した。
途中で歩いてしまったらどうしよう。
膝や腰が痛くなったらどうしよう。
彼女は笑いながら
「 ヨロンマラソンってね、ちゃんと走る人もいるけど、それだけじゃないよ。
最初から歩いてゴールする人もいるし、体力があり余ってる人もいるし、人の家に寄
ってお昼ご飯をいただく人もいる。
島を一日かけて味わいつくす行事みたいなものだから、大丈夫」
頑張れ、ではなく、大丈夫。
その一言で、肩の力が少しほどけた。
眠れない前夜
ところが、宿へ戻って布団に入ると、身体は疲れているはずなのに、頭だけが冴えて
いく。
目を閉じると、急な坂道が現れ、沿道の👉が聞こえ、海沿いの道が永遠に終わらない
ような気がして ゴールできるのか不安がおそう。
眠らなければ、と思うほど、眠気は遠ざかった。
時計の針の音がやけに大きい。
外では風が通り、遠くで波が崩れている。
宿の壁の向こうの世界が落ち着かない気持ちをあおるように、ワクワクとソワソワが
入交り落ち着かなかった。
横を向いても、仰向けになっても、目を開けても閉じても、眠りは来なかった。
結局、朝までほとんど眠れなかった。
空が少し明るくなってきたころ、もう笑うしかなかった。
眠れなかったのなら、気負わずに割り切って楽しむしかない。
歩いてもいい、と昨夜言ってもらった。
歩いても、心配することは無い。
そう思ってマラソンの支度を始めた。
ヨロンマラソンの朝
朝の会場は、昨夜のお祭りの続きのようだった。
本気でアップしている人もいれば、「昨日ちょっと飲みすぎたんだよなー」と笑って
いる人もいる。
ジブリの宅急便に出てくるキキの格好で箒を携え、なぜかビーチサンダルで参加する
人たちがちらほら見える。
どう見ても記録を狙っていそうな人の横で、今日は景色と食べ物を味わい尽くす顔を
している人もいる。
その混ざりあいが、この大会のすべてをよく物語っていた。
金髪のパンチパーマのカツラをかぶった全身ピンクのヒョウ柄に身を包んだ男性も
いた。
そのいかにも作りものらしい派手さが、朝の与論のビビットな光の中では妙に似合っ
ていた。
真面目にウォームアップをしている人たちの間を、別のお祭りから梯子してやって来
たみたいな雰囲気で私のところまで歩いてきて、
「 今日は楽しもう!」
と大きな👉で励ましてくれた。
その👉を聞くと、縮こまっていた気持ちが少しほどけた。
ちゃんと走らなければ、と思っていた心に、べつにそんなに肩に力を入れなくてもい
いのだと、島のほうから言われた気がした。
号砲が鳴って、人の流れがゆっくり動き出した。
私は最初こそ少し走るような形をとったけれど、ほとんど歩くつもりでいた。
走っても抜かされる、歩いたら一瞬で前のランナーが見えなくなる。
どちらにしても周りの人たちはどんどん進んでいった。
走っている人だけではない。
寄り道しながら歩いている人にまで追い越される。
そのことが少し可笑しくて、ちょっぴり恥ずかしかった。
けれど、与論島のコースには、歩く人にもちゃんと給水所兼 休憩所兼 お食事処と
いう誘惑が満載だった。沿道に人が立ち、手を振り、👉をかけ、何かしら差し出して
くれる。
小さい子供たちが がんばってー!!と必死で励ましてくれる。
頑張れ、というより、楽しんでね、という顔をしてくれる。
だから歩いていても、置き去りにされた感じがしなかった。
追い越していく人たちは、笑顔で話しかけてくれる。
「 初めてですか」
「 そうなんです」
「 歩いてもいいよ、ヨロンだから」
そんな言葉が、すれ違いざまに軽く交わされる。
その中の一人が、軽い足取りで私を抜きながら、すれ違いざま ウエストポーチから
何やら小さな瓶を取り出して見せた。
「 これ、焼酎」
と、いたずらっぽく笑う。
「 走りながら飲むんですか」
と聞くと、
「 まあね」
と言って、小さく蛇行しながら追い越していった。
ああ、たしかにそういう大会なのだと思った。
路肩で一休みしていた時には、言語学を専門にしている移住者のかたが、与論島の方
言のことを教えてくれた。
もう下の世代では、それを話したり聞き取れたりする人はごくわずかで、子どもの世
代では、島でたった一人、小学校低学年の子がいるのだという。
その子は、おじいさまから、島の言葉と文化を残すために方言を教えられて👉ってき
たそうだ。
その話を聞きながら、私は胸の奥をそっと引かれるような気持ちになった。
私にも半分、沖縄の血が流れているからだろうか、言葉が通じない隔たりと、それで
も自分のルーツのほうへ手を伸ばしたい気持ちには、少しだけ覚えがあった。
つながっているはずなのに、うまく手繰り寄せることができない。
近くにあるようで遠いものを見つめるような、静かなもどかしさが、与論の方言の話
と重なって、しばらく胸に残った。
与論マラソンは、走る苦しさを苦しさのまま終わらせず、なんでも好奇心と楽しみの
ほうへひっくり返してしまう独特な催しだった。
島じゅうの食卓のあいだを進む
ヨロンマラソンでは、走るというより、島一周に引かれた長い食卓を食べながら進ん
でいく感じがあった。
給水所には水やスポーツドリンクだけではなく、島の名産が並んでいて、立ち止まら
ずにはいられない。
給水所では、ヤギ汁の湯気がたち、お酒やワインまでもが並べられている。
沿道に出ている島の人たちが、家の前から
「 食べていきなさい」
「 飲んでいきなさい」
と、当たり前みたいな顔で色んな食べ物を勧めてくれる。
そのやさしさがあまりに自然で、こちらもつい受け取ってしまう。
走っている人の中には、庭先へ入ってそのまま腰を下ろしまどろんでいる人、夢中に
なって食べている人もいた。
親戚の家に寄ったみたいに玄関先でだべっている姿まで見えてきて、私は思わず笑っ
てしまった。
こんな大会があるのだろうか、と。
でも、それが与論ではまったく不自然ではなかった。
島の人たちは、参加者を見物しているのではなく、年一度の本土の人との触れ合いを
たのしみにこの日を盛り上げてくれている。
走る人、歩く人、仮装する人、飲む人、もてなす人。
みんながそれぞれのやり方でこの一日に混ざっていて、その境目がなく、マラソンと
言う名の交流会がメインイベントだった。
汗をかきながら歩いているはずなのに、もらって、食べて、笑って、また少し進んで
また何かすすめられる。
島じゅうが一丸となって 本土の人たちと交流していた。
金髪のパンチパーマと飴ちゃん
十キロを過ぎたあたりから、膝と腰がはっきり痛くなってきた。
歩いているだけなのに、腰の奥に重い釘でも打ち込まれたような鈍痛が上がってくる
それでも人はどんどん私を追い越していく。
しかも、底なしに嬉しそうな顔で。
私は、あまりにも悠々と追い越されてしまうのと沿道の応援とで、かえって前へと押
しだされるような気持ちになった。
自分だけ立ち止まってはいけない、と。
悔しさというより、周りの人たちの明るさに背中を押されて、また一歩前へ出る感じ
だった。
走りはじめてからしばらくして、膝と腰の痛みに負けそうになりながら、とぼとぼ歩
いていたときだった。
後ろから、なにやら明るい気配を察知した。
振り返ると、金髪のパンチパーマを風になびかせながら、あのピンクの仮装をしたお
じさんがやってきた。
島の風を受けて、くるくるした金色の髪が大げさなくらい揺れていて、その姿があま
りにも可笑しくて、苦しいのに思わず笑ってしまった。
おじさんは、スーパーのレジ袋を片手にぶらさげたまま、軽やかに私を追い越してい
った。
追い越しざまに、そのレジ袋に手を突っ込み、
「 はい、飴ちゃん」
と、ひとつ私にくれた。
まるで近所の誰かが商店からの帰り道に立ち寄ったみたいな自然さだった。前の人に
も、そのまた先の人にも、同じように飴を配っていた。
「 はい、飴ちゃん」
「 がんばってねえ」
「 まだまだ楽しめるよー」
そんなふうに👉をかけながら、金髪のパンチパーマを風に揺らし、陽気に通り過ぎて
いった。
ああいう人がひとりいるだけで、その場の空気はずいぶんやわらかくなる。
レジ袋から出てきた小さな飴玉が、今もずっと深く心に残っている。
友だち夫婦と赤ちゃん
そんなふうに、歩いて、少しだけ走って、また歩いていたときだった。
沿道に、見覚えのある顔があった。
友だちご夫婦だった。
しかも、赤ちゃんが生まれたばかりだと聞いていた。
腕の中に、小さな命がすっぽり抱かれているのが見えた瞬間、私はうれしくなって、
思わず立ち止まった。
「 来てくれたの?」
「 いるよー、見つけたから」
海風の中で、言葉が明るく弾んだ。
ご夫婦は本土から移り住んできた人たちだったけれど、そのときの二人は、もう“本土
から来た人”という感じではなくなっていた。
この島で子どもが生まれて、毎日の暮らしを重ねていくうちに、与論が少しずつ、訪
れる場所ではなく、生きていく場所になってきたのだろうと思った。
赤ちゃんを抱く腕のやわらかさや、並んで立つ二人の落ち着いた空気の中に、
これからもここで暮らしていくのだろうな、
という小さな覚悟のようなものが、あたたかくにじんでいた。
力強い宣言とかではなく、もっと静かなものだった。
この島でごはんを食べて、眠って、子どもを👉てて、季節をひとつずつ渡っていく。
そういう日々のほうへ、そっと心が定まっていくような気配だった。
「 かわいいねえ」
「 ありがとう」
「 元気そうでよかった」
そんな短い言葉しか交わしていないのに、その場には不思議なくらい満ち足りた時間
が流れていた。
私はしばらく立ち話をして、またコースへ戻った。胸の奥にはさっきまでなかったあ
たたかさが広がっていた。
人がどこかに根を下ろしていく瞬間というのは、こういうふうに、静かで慎ましいも
のなのだと思う。
ゴールと、その向こう
後半になると、私は「完走するぞ」という気持ちより、
「 この日をちゃんと味わって帰ろう」
という気持ちのほうが強くなっていた。
海が見える場所では、つい立ち止まってしまう。
風が吹き、汗をかいた首元を乾かしていく。
遠くの海は青だけではなく、緑と青と白が混ざっていた。
空の明るさがそのまま島全体へ落ちているみたいだった。
そして、どこまで行っても、沿道には人が見守っている。
知らない人なのに、昔から知っていたみたいに手を振ってくれる。
食べていきなさい、飲んでいきなさい、と日が傾いても👉をかけ続けてくれる。
速くなくても、立ち止まっても、ちゃんとその場にいていいのだと、最後まで見守っ
ていると島じゅうが言ってくれているようだった。
私はほとんど歩いていたけれど、島の優しさに押されるようにして、もう少し、もう
少しと足を前へ進めた。
焼酎の小瓶を見せた人、飴をくれたおじさん、友だち夫婦と赤ちゃん、沿道の人たち
の笑顔。
そういうもの全部が、少しずつ私の背中を押していた。
ようやくゴールが見えたとき、私は達成感よりも、終わってしまう惜しさを先に感じ
た。
膝も腰も痛い。
脚は重い。
でも、この不思議な一日が終わってしまうのが、もったいなかった。
ゴールのあとも、そこにはお祭りの余韻が続いた。
タイムを確認して終わり、ではなく、それぞれの満足と達成感、各々を労う気持ちが
それぞれの顔に滲み出ている。
走り切った人、歩き切った人、飲み切った人、食べ切った人。
みんなが、自分なりの一日を抱えていた。
一等の人はゴールテープを切り、そのまま飛行場まで走って飛行機に乗って帰ってい
ったそうだ。
島の便を逃すと大変だから、と言って。
のんびりした島に見えるのに、交通の時間だけは待ってくれない。
そういうところも、妙に島らしかった。
帰る日、私は浜辺へ行った。
どうしても、海をもう一度ちゃんと見ておきたかった。
朝の浜辺は静かだった。
昨日のにぎわいが嘘みたいに、波だけが寄せては返している。
砂は少しひんやりしているのに、空気はやわらかい。
水平線のあたりは淡く光っていて、その明るさの中に、まだ与論の時間が残っている
ようだった。
私はしゃがみこんで、砂に手をついた。
そして、そのまま少しだけしがみつくように指を埋めた。
波が来るたび、砂は指のあいだから逃げていく。
留めておけない。
旅の時間も、こうして指の隙間からこぼれていくのだろうと思った。
島から離れたくなかった。
本当にそう思った。
景色がきれいだったから、というだけではなかった。
島の人たちのやさしさ。
歩いてばかりでも許してくれる空気。
沿道のごちそう。
前夜祭の笑い👉。
飴玉。
赤ちゃん。
金髪のパンチパーマ。
きらりと光る焼酎の小瓶。
手を伸ばしてもなお遠い、ルーツへの愛おしさ。
そして、自分が👉援にこたえられなかった情けなさも全てひっくるめて受け入れても
らえた気がした。
私は浜辺で、離れるのがおしくて落ち込んだ。
大げさにではなく、こらえていたものが静かにあふれた。
こんなふうに、強く離れがたいと思う気持ちが自分の中に芽生えたのだと、そのとき
知った。
戻ってから
戻ってきてからも、腰痛はしばらく続いた。
立ち上がるとき、寝返りを打つとき、階段を下りるとき、与論の急な坂道が腰の奥か
ら遅れてやってくる。
膝の奥にも、あの日の道がまだ続いているようだった。
最初は困った。
どうしてこんなに長引くのだろうと思った。
湿布を貼りながら、少し情けなくもなった。
でも、あるときふと思った。
この痛みがあるかぎり、私は与論島を忘れないことができる、と。
旅の記憶は、写真に残るものだと思っていた。
青い海、白い砂、笑って並んだ顔。
けれど、本当に消えない旅の思い出は、案外、身体のほうに残るのかもしれない。
少し腰が痛むたびに、私は与論を思い出した。
那覇港からのフェリーの風。
船の中で、すでに飲んでいた人たちの笑い👉。
宿の前で見た、鯨かもしれない白い潮吹き?
前夜祭の人肌のような賑わい。
与論献奉という、人を迎えるためのやさしい杯。
美術の先生をしている友だちの「大丈夫」と言ってくれた優しい笑顔。
眠れなかった夜。
歩いてばかりいたコース。
焼酎の小瓶。
島じゅうの食卓。
金髪のパンチパーマを風になびかせたおじさんがくれた飴ちゃん。
本土から移り住んだ友だち夫婦と、島の光の中にいたまぶしさに包まれていた赤ちゃ
ん。そして、浜辺で離れたくないと泣いた自分。
どれも景色だけではない。
匂いがあり、痛みがあり、笑い👉がある。
それら全部が混ざって、与論島の記憶を作っている。
いま思えば、ヨロンマラソンは、走るためだけの日ではなかった。
速い人は速い人の与論があり、飲む人は飲む人の与論があり、歩く人は歩く人の与論
がある。
私は、ほとんど歩いて、何度も追い越されて、途中で話し込み、食べて、笑って、最
後には浜辺で泣いた。
それが私の与論島マラソンだった。
与論島は、美しいという言葉だけでは足りない。
あそこには、人をほぐしてしまう何かがある。
ゆるくていい、と、身体の奥にまで言い聞かせてくるような、あたたかな空気がある
思い出すたびに、あの島で朝を迎えるような感覚になる。
太陽を浴びたあとの筋肉痛のように、いまも記憶のどこかで、与論島物語がひっそり
と続いている。
【編集後記】
ソプラノ新人の諏訪さんが初登場
頂いた原稿を一読、「もしかしてTUTTI って、文芸同人誌でしたっけ?」とドキドキしま
した。
たっぷりと、ゆっくりと、ヨロンのお裾分けを味わいましょう。( 岡田 )