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軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 第20号 2020.9.19
つれづれなるままに 安光 榮子(ソプラノ)
シンフォの皆さま、こんにちは。7月17日の総会にてご挨拶させていただき、また戻って参りましたのでどうぞよろしくお願いいたします。なかなか合唱練習再開もままならないようなコロナ事情ですね。私はお風呂と家事をやっている時に鼻歌を歌うぐらいの毎日です。今月25日に少しだけ声を出す機会がありますので調子を整えて参加したいと思っています。
一昨年春に突発性難聴になり、「ハテ…」と思いましたが、後に運よく完治してほっとしました。やっていた大学の通信教育部の勉強のペースを上げて来ていた時だったので、シンフォを退団し、勉強に集中しました。いずれまた歌う機会があればと思いながら早く大学を卒業してしまおうと頑張っていましたが、勉強に追われるだけではつまらないのと、声を出さないでいると声は出にくくなるという以前の経験があったので、昨年1月から今年2月までは佐久の実家の近くの合唱団に混ぜてもらって歌っていました。通うには遠いですが、出欠にはゆるく、とりあえず歌っていればよかったので発声練習をさせていただくという気持ち半分くらいで行っていました。勉強がメインの生活でしたので都合がよかったのですが、それでも2月の公演まで真面目に練習し、本番ではプロのオーケストラ伴奏で歌いました。「マイフェアレディ」7曲を英語で歌いました。合唱団員の方々には、プロのオーケストラ伴奏で歌う機会はなかなかないのでよい機会だという風に言われたのですが、シンフォで10年以上も歌っていた私は、オーケストラの音量に数で立ち向かうというよりはピアノ伴奏で合唱団員の声を聴かせるのを懐かしく思いました。もちろん「第九」を大勢で歌ったときの爽快感は忘れていませんが。昨年9月末にやっと大学を卒業し、追われる生活を脱しました。ほっとしたのと同時に脱力、またこれからどうしようかと、特に2月の公演が終わってからは考えてきました。もう結構いい歳になっていますので当初の目標はどんどん変わり、でも勉強は続けて行こうという気持ちになり、一人でやるのは大変なので人の力を借りようということでまた英語の研修に今月から行ってみることにしました。そこでは人との会話もあるので気晴らし、脳トレになるし、運がよければバイトにありつけるかもしれないという欲を持って行くことにしたわけです。
さて、シンフォとの付き合いは途中抜けた時期はありますが、軽井沢大賀ホールのこけら落としで「第九」を合唱した後の創立からですね。当時は団員数がもっと多かったし、現在のように組織化されていませんでしたので、今から思うとずいぶん気楽な気分で歌いに行っていたものだと思います。寺田先生のお母様の泉先生が団長をされて、ご苦労をかけていたなと思います。大賀ホールのこけら落としの2年後でしたか、組曲「美しい村」の公演時には団員がより集まりましたが、ある練習時に数えたらソプラノが12名いました。それ以前の時も自分よりも年上のお姉さま方が結構いらしたので2列になったソプラノの後ろの列で気楽に歌っていたのを思い出します。3年前に亡くなった遠山緑さんとは一緒に「第九」を11か月間練習し、本番、その後の流れでシンフォで歌いました。最初の頃は、他のパートの方とあまり話す機会もなく、後に「第九で一緒だったんですね」とか、「合唱団で最初から一緒だったんですね」とか言ったくらいです。今、私はシンフォの皆さんとまたきれいなハーモニーで歌いたいという前向きな気持ちになっています。可能になったならば、ホールに聴きに来てくださる方々に美しいハーモニーを届けたいと思います。私ももう若くはないので自身としてはどれだけできるのかわからないのですが、以前より声を大切にしてとにかく歌いたいと思います。
そんな私に元気をくれるのは藤井二冠ですね。彼のぶれない探求心、活躍には励まされます。私は時に母のような気持ちで心配もします。(何の助けにもならない)それからもう一つ、小笠原諸島の西之島君(君を付けて呼んでいます)が噴火で面積が広がる度に何故か笑顔になります。ただ、ひょっとすると燃料が切れてきたかもしれないということでちょっと残念という気持ちになるのですが、この先の可能性は五分五分ということです。いずれにしても長生きしないと…って、藤井二冠はある程度見届けることはできても西之島君は時間の長さが違いすぎますねえ。とりあえず海面上に存在していてくれればOKです。
最後に、ある講演で聞いた言葉「キョウイク」、「キョウヨウ」を時折思い出して日々の生活に努めて役立てたいと思っています。これらは「今日行く」、「今日用」で、今日行くところやする用事があるということが大事だというような意味だったかと思います。コロナ禍の現在では難しい面もありますが。
心にうつりゆくよしなしごとをつづりました。
三つ子の魂百まで 山内 彦太(バス)
NHK交響楽団第一コンサートマスター、ヴァイオリニストの篠崎史紀(しのざき・ふみのり)氏はその容貌から「マロ」の愛称で親しまれています。 彼曰く、小学校の時、東洲斎写楽と喜多川歌麿の浮世絵を間違えた友人に付けられたあだ名とのことで、このあだ名は海外に出て役立ったそうです。 外国人にとって日本人の名前が発音しにくい中、「M A R O」はマリアやマルコなどと発音が似ていたから大いに受け入れられ、以後根付いたようです。
ところで、同じような話が私にもあります。 以前にも宣言しましたが私は純粋な日本人です。にも拘らず、メールの送受信名が「ヘンリー・ヤマノウチ」などと変な外人(現在では外国人と言わなければいけないそうですが所詮私自身の事なので敢えて外人のままにしておきます)みたいですが何故でしょうか? それは1969年にニューヨークへ赴任を命ぜられ着任した時、仲間の外国人から「名前は何と言うの?」と尋ねられ、「ヒコタ・ヤマノウチ」と答えると「ひの発音が難しいのでイニシャルのH から始まるポピュラーな名前はヘンリーだから、今後ヘンリーと呼ぶ」と相成った訳です。 それ以来、帰国後もまた転職後もそして現在も「ヘンリー」と呼び続けられてきております。 話が横道に逸れてしまいましたので元に戻します。
その篠崎さんが今年3月25日から西日本新聞に「マロの夢があるから人生は輝く」と題した随筆を書いておられます。 その新聞コピーを友人が送ってくれましたので、私から見て彼の神髄を現わす部分を紹介したいと思います。 それは彼が幼稚園児だったある日両親が授業参観に行くと、教室の壁に児童が描いた絵が飾ってあり、その中に一つだけ何を描いているのかわからない絵があったそうです。 絵のテーマは「猫」だったらしいのですが、母親はその絵を眺めて「かわいそうに、この子、猫の絵が描けなかったのね」と呟いたそうです。 しかし名前を見ると「しのざき ふみのり」と書いてあったのです。 そこで母親は気になってしまい先生に尋ねたそうです。 幼稚園の先生も彼が描き終えた絵を初めて見た時、とても気になったらしく「ふみのりくん、これは猫ちゃんの絵なの?」と聞いたら、「うん」と答えたそうです。「猫ちゃんの絵は難しい?」と聞いてくる先生に彼は「ううん。この紙が小さくて入らなかった」と答えたそうです。 そこには画用紙からはみ出さんばかりに、三色で毛のようなものが描かれており、どうやら彼はモデルとなった猫を誰よりも長い時間触りまくっていたそうで、その手触りを絵に表現してみようと思ったけど、いざ描いてみたら自分の思い描いたものは画用紙に描き切れなかったとの事で、ただ三色の毛のみが画用紙一面に描かれていたようです。 先生は絵に対して「素敵ね」と言って他の子供たちと同じように、教室の壁に貼りだしてくれたそうです。 人間のさまざまな発想に対して、これが正解と言う基準は存在するものではなく、子供は素直な心の眼で感じたことを自由に発想するけれど、大人の知識や長年の経験から凝り固まった頭で考えると、それは「N O」となることが多い世の中で、この先生のおかげで他の子供たちとは違う発想が幼稚園時代に受け入れられたことが、彼の人格形成において大きな分岐点になったと言い切っておられます。
私の幼少時代にも絵についての逸話がありますが、篠崎氏の幼稚園の先生とは真逆のような担任教師の話です。 それは小学二年生の頃だったと思いますが、快晴の空のもとでの屋外写生授業の時、先生が私の描いた絵を見て「君の絵にはお日様が描かれてないので、かき加えなさい」と言うじゃありませんか。
私は周りの人たちの絵を覗き込むと、確かにみんながコロナウイルスのような〇に数本の爪楊枝を刺したような太陽らしきものを描いておりました。 私には太陽は眩しくてどんな恰好をしているのか分からなかったので描かなかったのですが、先生にかき加えろと言われるし仲間は皆描いていたので慌てて画用紙の左上に「コロナウイルス・マーク」を付け加えました。 それ以降私は絵に対して全く自信を失い幼稚な絵しか描くことが出来なくなりました。 あの時、担任の先生が「お日様を付け加えろ」等と言わなければもう少しセンスの良い、まともな絵が描けるようになっていたかも知れません。 多分これを契機に「絵画」より「音楽」の方が自分に向いているのではないか、と思うようになったのでしょう。 そういった意味ではこの年になるまで合唱を続けていられるのはこの先生のおかげかも知れません。多謝!
幼少時代の先生の一言はその後の人生に大きな影響を与えるものだとつくづく思います。
Henry Yamanouchi(絵のセンスゼロのD O M)※
【編集後記】 なんとなんとストラスブールにいよいよ到着の「遠い国物語」は、お預けとなりました(涙)
健康問題での休載ではなく、御多忙のためですのでご心配なく。コロナの影響で4月から延期になっていた行事用事が9月に集中したとのことです。近々に「遠い国物語」の続きをいただく予定になっていますので、次号をお楽しみに。
安光さんの西ノ島君は今日も元気でしょうか?
幼いHenryくんが先生から作文指導で捻じ曲げられなかったことにも多謝!
※(DOMとはDirty Old Man) (岡田)