機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

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REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス

TUTTI  第17号     2020.6.10

 

「白いきつね」と「消えたキツネ」      大林 義博(テノール)

「白いきつね」


「白いきつねはどこにいる、白いさくらの咲く山に、白いきつねをだれが見た、うちの母さんおばあさん、一の山から谷こえて、三の谷から峰わたり、春のかすみが消える頃、白いきつねは雲となる」

「白いきつね」は童謡作家で「泣いた赤鬼」で知られている岩手県生まれの濱田廣介(はまだひろすけ)氏が41年前、76歳での作詞。作曲は「ぞうさん」などで知られている團伊玖磨(だんいくま)氏です。

この白いさくらはどんな桜?春の終わりに咲

くものには「イヌザクラ」「ウワミズザクラ」最後に「ミヤマザクラ」が、やがてウツギなどが咲く夏を迎えます。サクラの仲間でも「ウワミズザクラ」は新枝の頂に多数の白花を密生する、長さ8~20㎝の総状花序を開花し、樹木が真っ白になります。その姿から別属にする学者もいるくらい花の形が変わっています。この花の色や形、特に長い花はキツネの尾のようで、見るたびにおばあさんの見たサクラは何かなと思う季節になりました。


 

「消えたキツネ」


 それは、浅間山の裾野のカラマツ林もその黄金色の葉をすっかり落として、農作業の収穫を終えた畑にうっすらと雪が舞い、どんよりと曇った秋の終わりの午後のことでした。

 ゆるやかな起伏のある畑の斜面を登りつめて、見晴らしの良いところに出ると、反対側から登ってきたキツネとなんと目の前で出くわしました。キツネも私もビックリ、しばらくは双方が相手を見つめるだけ、しばらくするとキツネは向きを変えて時々後ろを振り返りながら畑を下って行きます。その姿はあたかも、このうっすらと舞った雪の上に残った足跡を追いかけてきたらどうだい、というように私の目に映ったのです。

 私は追いかけ始めました。やがてキツネは耕作をやめた畑に縦横に整然と植林されたカラマツ林に入りました。このカラマツ林は、樹高6mくらいで下枝もありまだ若い林で、林床には他の植物が無く、歩きやすいのはキツネの方で、背丈のある私は下枝をくぐって足跡をたどるのに四苦八苦、さらにキツネはこの林を真っ直ぐに抜けないで、右に行ったり左に行ったりとジグザグと通り抜けたのです。キツネはこの林の中で時間かせぎをして私との距離を離したのです。当然キツネの姿もこの林で見失ってしまいました。

 ようやく植林されたカラマツ林を抜けると林道に出て、足跡はこの道の中央にためらうことなく真っ直ぐに山の方に向かってついていました。

 しばらくして、林間の狭い林道から山の尾根が見える広い野原の中にさしかかると、突然雪の上の足跡が消えているではありませんか。それも道の真ん中で…地に潜ったか宙に舞ったか、周辺を探してもどこにも足跡は見つかりませんでした。

 キツネが身を守るために歩いて行った足跡の上を後ろへ戻ってから横に飛んだのではないかということを知ったのは随分後のことでした。

 林道の見下ろせる丘の上から、消えた足跡の周辺を探している私の姿をキツネは得意気に見ていたのではないでしょうか。


 

 

「アッそう!」vs「うそ!」                山内 彦太(バス)

 


「明治は遠くなりにけり」と言われて久しくなりますが、今や「昭和も遠くなりにけり」と言えそうです。昭和天皇がご健在の時、視察旅行等で一般の方々或は侍従の方から何か説明を受けられると「アッそう!」と頷かれ納得されるのでした。実に微笑ましいお姿であった事を思い出します。

ところが時代が進むにつれて若い世代の人たちの話し言葉にものすごい変化が生じてきました。

その一つが「本当」「うそ」ではないでしょうか。

例えばある人(A)が何かを相手の(B)に話したとすると、Bは肯定的な返事を返すのではなく何か懐疑的な感じで「ホントに?」と入れなくても良いと思われる「に」を入れ語尾を上げるのです。それがエスカレートしてくると「ウソみたい!」と更に疑ってかかるのです。そして「ウソでしょう?」となり、極め付きは「うそ!」と断定し相手の言ったことを完全否定する訳です。

「アッそう!」と「うそ!」とでは大違い。

しかし、Bも決してAの言ったことを否定しているのではなく、かえって相手の言ったことに対して感動しているのかも知れません。 

私はこういう言い方をする人は若い世代に限られているのかと思っておりましたが、最近結構お年を召した熟年のご婦人二人が演じているレディース・ネイチャーのTVコマーシャルで何と「うそ!」と言っているではありませんか。 「うそ!」と「嘘」とは根本的に意味が違うのでしょうね。

私は世間では福澤諭吉先生が唱えられたと言われている「心訓七則」を教訓として机の横に貼ってありますが、実際には作者不明の偽作との事で慶應義塾大学も「心訓」は福澤先生の言葉ではない、真赤な偽作である」と明確に否定しているそうです。 

その七則とは以下の通りです。

1.世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫

く仕事を持つと云う事です

1.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です

1.世の中で一番淋しい事は仕事のない事です

1.世の中で一番みにくい事は他人の生活をう

らやむことです

1.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です

1.世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情を持つことです

1.世の中で一番悲しい事は嘘をつくことです

「嘘をつく事が一番悲しい事」だと言っている作者不詳・発行日不明の心訓が「福澤心訓」として世にまかり通っているのは実に変な話ですね。

 「嘘も方便」と言われ時と場合によっては必然的に嘘をつく事が求められることも多々あるでしょう。 物事総てを「アッそう!」と穏やかに肯定する世の中はもはや夢物語で、纏まりのない上述はコロナ騒動の自制生活続きで自制心を失いつつある私の寝言と思ってください。    


 

 

 

遠い国物語(7)「列車の旅」②             真﨑  隆治(バス)

 


 しつこくて申し訳ないが、列車に乗るまえに、もう一つホームの高さについて触れておきたい。フランス国鉄のホームの高さは50cmぐらいしかない。だから転落にたいする恐怖はまったくない。そのかわり線路を横切り近道する人が現れて危険だと思われるかもしれない。しかし横切る人はほぼ皆無である。なぜなら、法律により横断禁止が決められているからだ。コンポステと同じに違反者への罰則は厳しくその扱いに例外はない。日本では転落事故がしばしば報じられるが、横断による事故の話は聞いたことがない。あ、「プー」と鳴った。すぐ列車に乗らないと出発してしまう。

 はじめての列車の旅なので指定席をとった。指定券には列車番号、指定区間、指定車両と席番号が記入されている。ところが停車している列車には車両番号がついているのみで、指定車や自由車の表示がない。不安にかられながらも指定された席まで行ってみると、背もたれの上の部分に小さいカード入れがあり、僕の席には「予約済み」とタイプされたカードが差し込んであった。ちなみに隣の席を見ると、「予約なし」のカードだ。発車前に車掌が車内を歩いて、予約の通知の入った席の「予約なし」カードをひっくり返して「予約済み」にしていたのだろう。ずいぶん非能率的に見えるが、実は乗客には親切な制度だと感心した。

 日本の指定車両はがらがらであっても指定券を持った人しか乗れない。また、指定席が混み合っているのに、自由席が空いていることもよくある。フランスではどの車両も自由席であり、指定席でもある。もっとも、グリーン車にあたる1等車と普通車である2等車の扱いは日本と同じだ。僕の席は1等車の窓側である。1等車といってもグリーン車のようには高くはない。だいたい鉄道運賃は日本とくらべるとずいぶん安い。メモをしなかったので金額は忘れたが、「安いなあ」と感じたことはしっかり覚えている。

 ホームのどこかで「プー」と鳴り、先頭の電気機関車が「ピー」と短く鳴らし、列車はパリに名残りを惜しむようにしずしずと出ていく。新幹線のようにふーっと出るのではない。やはりそこはかとない旅情が漂うのである。

 日本でもかつては長距離列車が始発駅を出るときには同じように別れの儀式然としていた。今は「早いだけが取り柄」とでも言いたげに、味も素っ気もない。しなの鉄道の軽井沢駅を出発する電車にはかつてを偲ばせるところがあり、奥行かしい。

 パリ・ストラスブール間500km余を4時間半足らずで走る急行がいよいよ動き出した。フランスの列車は広軌なのでどっしりとして乗り心地がよろしい。


 

【編集後記】 

大林さんから原稿を頂きました! 今後も、山野のお話を書いて頂けたらなと期待しております。

山内さんは、「練習できないから、せめてTUTTIでも」に御賛同下さり、先号に続いて原稿を書いてくださいました。真﨑連載につづき、山内プチ連載(*^-^*) 

「遠い国物語」は留学の地ストラスブールに向かう列車が「プー」と出発しました。次号ではストラスブールに到着するでしょうか!?

 ではではみなさま、熱中症にお気をつけて! (岡田)

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