機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

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REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス

TUTTI  第19号     2020.8.13

 

           ごあいさつ                                    大林 義博 (団長 テノール)

去る7月17日総会において団員皆様方の承認をいただきありがとうございました。団長としての責務を果たして参りたいと思いますので皆様のご協力よろしくお願い致します。

さて8月4日に佐久圏域は警戒レベルが3に引き上げられ「新型ウイルス警報」が発令されました。
 
我々合唱団の活動においても長く厳しい月日が続くものと考えられます。今後の練習予定等についてはメールやTUTTIにて連絡させていただきます。また皆様のご意見もお寄せ下さい。

楽しかった思い出                           北澤 盛雄 (テノール)

 軽井沢シンフォニックコーラスは大賀ホールのこけら落としでの合唱を契機に結成され、以来15年になります。私は会の結成にご苦労された寺田泉さんのお誘いで入団し、楽しい合唱のひと時を過ごしてきました。

 思い出は平成19年軽井沢組曲「美しい村」の発表会、地域に溶け込んだ「あったかコンサート」「緑の音楽祭」への参加、福祉施設の慰問コンサートなどあります。

真﨑前団長の発案で東日本大震災被災地の皆さんに、少しでも元気を出していただけるよう慰問を目的に始めた「かなん合唱団JOY」との交流事業は現在も続いており、ジョイントコンサートは楽しい思い出の一つです。

このようなイベントに参加させていただき、感謝しております。

TUTTI 7号で「コーラスは若さの秘訣」と書き努力してきましたが、83歳を過ぎますと聴力の低下や夜間の車の運転に不安があり、残念ながら7月17日の総会でお話しました通り退団させていただくことにいたしました。

趣味は多い方ですが加齢とともに続けられないことが多くなり残念な気持ちです。

音楽は私にとって大切なものですので、これからもいろんな形で続けていこうと思っております。

新型コロナウィルスの感染で2月から練習を休止しておりますが、寺田・坂井両先生を始め団員の皆様が、お元気で楽しい合唱団を続けていかれることを心より願っております。

 

 

戯言のような本当の話               山内 彦太 (バス)


私は友達始め色々な方から「君はクリスチャン?」と良く聞かれることがあります。それは多分私の家族(家内と二人の息子)が全員カトリック信者であることと、私の中学時代の音楽の恩師が敬虔なクリスチャンで、クリスマス時期にはいつも恩師が所属されていた教会で頼まれ聖歌隊としてグレゴリオ聖歌や讃美歌を歌っていたからだと思います。

実は私はクリスチャンでも仏教徒でも神道でもイスラム教徒、或はユダヤ教徒でもありません。会社人現役のころは年に3回、正月・五月・九月には成田山新勝寺に商売繁盛の護摩木を焚いてお参りを行っておりました。

新年はどこかの神社に初詣に行き、海外出張の折にはその地の教会を訪ねるのが趣味でした。現在でも毎年冬至には早稲田の穴八幡宮をお参りして金銀融通のお守りとして有名な「一陽来復」と言うお守りを受けてきています。このように特定の宗教にこだわるのではなく、まさに「鰯の頭も信心から」を地で行くタイプなのです。

さてイスラム教で思い出しましたが、私が社会人になって2年目の時、上司から「サウジアラビアの代理店の社長が来日するので飛行場まで出迎えに行ってくれ」と依頼されました。私は初めて会う方なので「どのような顔をしているのですか?」と尋ねたら「見ればすぐに分かるから早く行ってこい」と素っ気ない返事でした。 

不安を抱きながら羽田空港の国際線到着口で待ってましたら、頭のてっぺんから足元まで真っ白な布で覆われた装束で頭部に黒い鉢巻のような物を巻いた髭もじゃの大男が出てきたではないですか! なるほど上司の素っ気ない返事の意味が良く分かった瞬間でした。 丁度昼時でしたので空港内のレストランで昼食をと思った時、彼は「メッカはどの方角か?」と尋ねたので、正確なことはわからないので兎に角西南の方を指さしましたら、やおら大きなアタッシュケースの中からゴザのようなものを取り出し空港ロビー内の床に敷き跪いてアラーの神への祈りを始めました。私があっけにとられて傍らに突っ立てましたら、「おい!お前も座って祈れ!」と強制的に横並びさせられ両手を頭上に高く上げ、地面まで下す独特の恰好をさせられました。 

丁度昼時のレストラン近くのロビーでしたので、周りには大勢の人がおり真っ白い装束の大男と入社2年目の華奢な男が揃って土下座みたいな恰好で何やら訳の分からない声を発して拝んでいる姿を興味深かそうに見ていました。ウブな私は恥ずかしさ等どこかへ行ってしまい、ただ会社にとって大事な代理店の社長の命令だから従わなくてはならないと言う気持ちで一杯でした。これは後にも先にも唯一私がイスラム教徒になった瞬間でした。

それから6年後の1971年、今度は赴任先のニューヨークでのお話。赴任してから1年半ほどは仕事や生活環境等に慣れるのにアップアップで家族と旅行に行くなどと言う余裕はとてもありませんでした。長男が2歳半、次男が8ヶ月になった夏休みにニューヨーク近郊のロングアイランドへ2泊3日の家族旅行に出かけました。リーズナブルな価格のホテルを新聞広告で探し意気揚々と出かけた次第です。 

ホテルについて先ず目についたことは、宿泊客の殆ど全員が今の我々のような年金生活者の爺さん・婆さんばかりだと言う事でした。大部分の爺さんはキッパと言う小さな帽子をかぶっており、一寸異様な感じを受けました。何とそのホテルはコーシャ・フード専門のユダヤ人の為の憩いの場だったのです。食事の時でもアルコールは一切禁止で実に寂しい思いをしました。ただ子供たちはユダヤ人のお年寄りに大変可愛がられて彼らのペットさながらでした。3日も一緒にいると爺さん・婆さん達とも仲良くなり何となく自分の親父・お袋みたいな感じになって来ました。 あるご夫妻が私に真顔で何とこう尋ねたのでした。 “ Are you Jewish? ”

 赴任中、時々中国人や韓国人に間違えられたことはありますが、まさかユダヤ人に思われるとは・・・・・・これも生涯初めてのことです。

ご存知の方もおありかと思いますが、「ジュウ」と言う呼び名はユダヤ人を卑下した言葉のようで、私が赴任した直後に先輩からユダヤ人(ニューヨークには特に多くの住人がいました)の前では「ジュウイッシュ」或は「ジュウ」と言ってはいけない、「クイチ(9+1=10)さん」と言うようにと言われました。「クイチさん」がユダヤ人の事を意味していると悟られるようになると、「ツジ(辻)さん」と呼ぶようにしておりました。今はどうか分かりませんが50年前の変な話です。 

私が住んでいた場所は嘗て世界万博が開催された「フラッシングメドウ・パーク」と言う所で、「JJ  Town 」と呼ばれていました。 「ジャパニーズ・ジュウイッシュが多く住む町」でした。 この時から私はユダヤ人の仲間だったのでしょうか? 私は宣言します。「私は純粋な日本人」と言う事を。              




遠い国物語(9)「列車の旅」④               真﨑 隆治 (バス)


 線路が広軌なので揺れが少なく、列車はなめらかに、随所に散りばめられた絵画的風景のなかを、相当な速さで、しかしゆったりと走る。

 風景だけでも見飽きることがない。それに加えて、フランスの列車にはときどき奇妙なことがおきる。フランスでは交通は基本的に右側通行であり、列車もそうだ。ところが、気がつくと左側を走っているではないか。なぜだ。後にフランス人たちにあれこれ聞いてみたが、「さあ」とか「そういうこともあるさ」とかで要領を得ない。左側走行はパリ=ストラズブール間の中間地点のこのあたり以外では経験したことがないから、ここはなんらかの都合による例外的なものだろう、としか言えない。

 もうひとつ驚いたのは、これまで左側の窓から景色を見ていたのだが、ふと右側を見ると、列車の上を舟が走っていたのである。といっても列車の真上ではない。右側には土手があり、その向こうに舟がいたのだ。列車やトラックなどのない時代、大量輸送手段は舟だ。それで大都会となると、パリはセーヌ川、ストラズブールはライン川というように、大きな川のほとりに建設されたし、フランス一周とまではいかないまでも、相当な数の長い運河がつくられた。日本でも江戸の下町は運河が縦横に掘りめぐらされている。ただおよそが平らで、さして広くない下町とちがい、フランスはゆるやかな起伏のある土地がはるかに広がっている。運河とはいえ、「水は高きより低きに流る」ことにかわりない。傾斜が急だと激流になりどうにもならない。ではどうするのか。舟が水門を経て運河の上り口にあたる区画に入ったら下流側の水門をしめる。すると水位が上昇する。上の区画と同じ水位になったら上流側の水門を開ける。舟は上の区画に進める。下るときはこの逆の手順になる。要するに流れを階段のようにして上り下りするのである。このほかに水源や水量の問題などがあり、運河の問題はそれほど簡単な話ではないが、ここでは書くスペースがない。ともかくその時は列車に並行して列車より高いところを舟が通(かよ)っていたのである。

 ストラズブールはフランス十大都市に数えられる都会である。といっても人口は郊外をふくめて当時で25万人、いまでも28万人くらいだ。フランスの広大な平原を進む列車の前方に山の長い壁が立ちふさがる。全長100km余、最高地点海抜1366m。ヴォージュ山脈という。この山脈に1箇所ある隙間を縫うようにして抜けるとアルザス地方にはいる。最後にトンネルをひとつ抜けると新たな平原が開けてくる。しばらく走ると、平原の彼方に教会の尖塔が見えてくる。ストラズブールのカテドラルだ。


 

【編集後記】 新団長のもと、張り切って練習を・・・とはならない日々。北澤さんは、これからも「団友」であることを快諾してくださいました。今後ともよろしくお願いいたします。NY近郊ロングアイランドやらフランスの運河やらヴォージュ山脈やら、なかなか遠出のできない夏に、せめて紙上で旅の気分を! (岡田)

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