機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

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REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス

TUTTI  第18号     2020.7.13

 

自粛を終える頃迄                     北村 宗太(テノール)

 

 自らの生活空間を整え直す事、読書に親しむ事、3人の仲間との歌時間を堅持する事、スポーツも続ける事、自炊の腕を上げる事、自分を見つめ直す事、概ね2月からの3ヶ月間に心掛けた事です。団員の多くの方も、これらの中の一つ位は共通した「それ!!」がお有りでしょう。

台所の食器棚を増設し、書庫に寝っていた「百年の孤独」を感慨深く読了しました。来年春の仲良し3人組での歌の発表会に向けて、本格練習も始めました。スポーツはスノボーからテニスへ、コートが閉鎖になればハイキングに切換え週一のペースを守りました。友人を呼んで自炊料理も振る舞える様に成りました。

自己の終末に向け、後見人、財産処分等の手続きを終え、残りの人生の目標を模索し、哲学しています。コロナが示した世界と自然の中で、新しい未来のビジョンを求め、何が出来得るかを求めて。今、この間、「結構充実し多忙だった」との思いで居ります。

 

私の日常                              村野 穏(アルト)

 

 朝起きると、先ず検温、朝食、散歩、掃除、洗濯、水やり等終ると、もう私だけの時間、何事か無い限り一日中、部屋にこもり趣味の編物で過ごす(編物大好きで、飽きることはなし)。

 朝の散歩は気持ちいいですよ。歩いていると必ず鳴き声がして、雉かな?と思い、見ると番でいたりしますが、雄がとても美しい。”雉も鳴かずば撃たれまい“  猿、犬にも会い、昔話の桃太郎の心境。

 ここ2週間程、訳あって歩けませんでしたが、今日久し振りの散歩路、緑が一段と濃くなり木々がウッソウと茂っていました。様々な鳥の鳴き声が聴かれますが、とりわけ今日は、坂道に鴨がうずくまっており、近づくまで動かず、思わずシャッターを切ってしまいました。慌てもせず、ヨチヨチ道端に移動したのです。こんな山道でと思いますが、鴨は、よく見かけます。癒されます。

 食事に関して一言。私、上げ膳据え膳の毎日で、私は食べる人、夫は作る人。よく世間の主婦が言う様に「今日献立何にしようか?」というのが夫の悩みだそう。買い物は夫の先導で一週間に一度スーパーへ。お惣菜の材料を見繕うのは夫の役目。私は好みの売り場で自分の買い物をする。時に好みの品を籠に入れると「それはいらない」とたしなめられ、元に戻す有様。世間の家族と逆?

 事務局の事、客の応対、館内の清掃等、会館の仕事全て夫一人で担っています。偶に留守番の時は代役を勤めますが、やってみると、夫は良くやっているなと感心させられます。夫はいつも「俺が先に逝く」と口癖です。苦労かけています。

 軽井沢で出そうで出ないのがコロナ感染者。裏話は色々聴いていますが。ひと頃は別荘も大賑わいで貸別荘も満杯だったとか。散歩路の、どの別荘の庭先にも他県ナンバー車が横付けになっていました。緊急事態宣言時さえ、ホテル駐車場に他県ナンバー車が数台。一寸腹立たしく思ったり。風評被害も、こんなところから生じるのか。一方的な考え方、いけないんでしょうが。

 皆様にお会い出来る日まで元気で過ごしたいと思います。私のつぶやきでした。(6月14日記)

 

 

遠い国物語(8)「列車の旅」③           真﨑 隆治(バス)

 


 東駅を出て、しばらく両側がコンクリートの壁にはさまれた掘り割りの中を走る。壁の上はパリの道路であり、車が行き交い、建物が並んでいる。15分だか20分だか走り、浮かび上がるように地上に出ると、そこはもう田園地帯だ。森があり、畑があり、両岸たっぷりに流れる川があり、牧場が広がっている。土地はほぼ平坦だが、彼方までゆるやかにうねり、牧場には羊がコロコロ転がっている。遠くを馬が風のように走っている。どこまでも果てるとも知れぬ緑の大地が、パリという大都会からさして離れていないというのに、すでに展開していることは、日本では考えられない。

 ところでちょっと待っていただきたい。ぼくがパリに到着したのは1月15日であり、この列車に乗っているのは2月のはじめのはずだ。とすれば目にしているのは春を待つ茶色の世界で、緑の原が広がっているわけがない。したがってここに描いてお見せしているのは別の機会に見た風景が混在しているのに違いない。なぜ混在しているのか。おそらくこの車窓を流れたこの景色が忘れようもなく印象的だったのではないか。そのためにフランスでの列車の旅初体験という貴重なシーンのなかにまでも混ざりこんでしまったのだ。思えば、今描いた風景は夏になってパリへ出た帰りのものであろう。なぜこんなことになったかといえば、なにしろ45年前の出来事をメモひとつなしに記憶頼りに再現しているからだろう。多少の混乱はお許しいただきたい。

 しかしここに、紛れもなくこの初旅行のときのものとして忘れがたい景色がある。前にも書いたが、パリの冬は連日どんよりとして、寒々しい。ところがこの年の冬は雲一つないすばらしい日々が続いた。このとき、パリを出た列車はすでにして森の脇を走っている。落葉樹の裸の森に太陽がひどく明るく、まぶしく感じられた。これを見た瞬間、ぼくはフランスがなぜ絵画の国であるのかがわかった。この光のまばゆいばかりの透明感のせいなのだ。まぶしい、まばゆい、それに、きらめく、をくわえてもいい。ただ、それらはどれも静的なのだ。どれも静まってそこにあり、そのために色彩が揺らぎもなく本来の色の豊かさをなにげなく定着させているのだ。冬の森のほとんど無色彩の色彩が見事に腰をすえ、走り行く列車のカタコンカタコンという音も耳に届かず、走り去る森の景色もそこにじっと佇んでいるかのようだった。その空間にごくうすく緑色をにじませた黒っぽい玉があちこちに浮かんで見えた。宿り木だ。

 軽井沢のいまの家から東に見える別荘地の林に、冬になるとこれと同じものが見える。たったひとつだけなのだが、なつかしい。


 

 

【編集後記】 

北村さんの終末まで見据えた身の回りの始末と思索の時間、頭がさがります。

村野さん、聞きしにまさる「上げ膳据え膳」の優雅な日常です!

「遠い国物語」は留学の地ストラスブールには、まだ到着しませんでしたが、パリ郊外の豊かな自然の中をカタコンカタコンと行く列車、真﨑紀行文でひとときの旅をお楽しみください。  (岡田)

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