機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

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REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス

TUTTI  第14号     2020.1.24

 

    ♪ドとレとミの音が~出な~い♪    岡田弥生(アルト)



 もともと声は低かった。母親によれば、産声もハスキーだったそうだ。柔らかく軽やかできれいな声に憧れていたけれど、それはないものねだりで、顔かたちを変えられないように、声だって変えることはできないのだ、と思い込んでいた。

 それはその通りだけれど、まったくその通りでもない、ということを知ったのは、50を過ぎて「お歌の先生」のところに通い始めてからだ。

 地声でしか歌えなかったのが、裏声が出せるようになった。ビートルズ(男声)は一緒に歌えるけどジョーン・バエズ(古くてすみません)は歌えなかった私が、女声の歌を一緒に歌えるようになったのだ。

 これでカラオケで好きな歌を歌えるようになった、めでたしめでたし、となればよかったのだが、欲深い私は満足しなかった。裏声は出るようになったけど、声量がない。もっと伸びやかに朗々と歌いたい、という欲望が芽生えてきたのだ。

 以来10年が過ぎた。石の上にも3年の3倍以上。大きな声は出るようになったし、上限もじりじりと伸びつつあるが(上のレで停滞していたのが、今はファに苦戦中)いちばん根本のところが改善されない。

 からだの中のどこかに、不要な力が入っているのだが、その力を脱くことができない。

 おそらくその「どこか」は一ヵ所ではないようなのだが、いちばんの問題は首まわり、特に舌根であり、音量をあげればあげるほど、音程があがるほど、異様なまでの力が入って、まるで金縛り状態。

 現在のお歌の先生である和佳子先生は、なんとかして私の緊張をほどこうと、「足の指をしっかり地面に!」とか「膝をゆるめる!」とか「四股を踏みながら歌え」とか「踊りながら歌え」とか、思い付くかぎりの指導をして私の意識を喉周辺から逸らそうとしてくれるが、「りきみ」は取れない。ついには「まあ、性格もあるからねえ」と苦笑される始末。

 つまり私は、自分でもびっくりなのだが、ものすごく「かたくな」なニンゲンであるらしい。

 自分で自分を固めているのに、自分ではそれをほどけない。そのくせ、肝心な「お腹のあたり」には力が入ってなくてゆるんゆるんだったりする。

目下の問題は、このままでは、「きらきら星」の最後を歌うことができないということだ。ド~レ~ミ♭~とフォルテで上って行くと、ミミミ・ミーミミミ・ミ・ミを歌えないのだ。

これが、どうしても出ない音程なら諦めもつく。でも、「りきまなければ」ミは出るのです。それなのに、固まってしまう。

どうすりゃいいんだ、と歯を食いしばって原稿を書いているワタシ。これこれ、この食いしばりがいけないんだよなあ。♪そーのうーちなーんとか、なーるだーろーおー♪と、明るい声で笑い飛ばせるワタシになりたい。


 

 

遠い国物語 ( 3 ) 「カフェ」           真﨑隆治 ( バス )  

 


 フランスの都会にはカフェが多い。パリなどカフェのない通りを見つけるのが難しいほどだ。カフェ(café)はもともとコーヒーのことだが、転じて「コーヒーを飲むところ」「喫茶店」の呼称になった。しかしカフェは単なる喫茶店にとどまらず、街の重要な役割を果たすことになる。

 1970年代はまだ携帯電話がなく、外では公衆電話を使うほかなかった。都会にはそこら中に公衆電話が設置され、特に駅周辺や広場などには多く見られた。ところが、電話機から小銭を盗む者があらわれ、電話機の多くが壊され使用不能になっていた。これには驚いた。失業者の増加に伴い、目立ってきたとのことだが、パリでこんな目に遭うとは思いもしなかった。ここにカフェが登場する。そこには必ず電話がある。しかも壊れていない! レジで電話用のコインを買い、地階に降りる。僕の知っているかぎりでは電話は地階にあった。

 カフェにはもう一つ大事な存在価値がある。トイレだ。都会を歩いていてトイレの用に迫られたときほど困るものはない。この時、カフェは燦然(さんぜん)と輝いて見える。トイレも地階にあり、その前にはおばさんがすわっている。彼女の前には小さな机があり、チップをおく盆がのっている。当時貨幣単位はフランで、1フランが20円ぐらいだったか。盆には10フラン玉が並んでいる。しかし僕は1フランだけおいてトイレに入る。出てきて見ると、その1フラン玉はすかさずしまわれていて、盆の上は10フラン玉ばかりになっている。トイレがあるのは有難いが、ぼられるのはいやだ。観光地でのささやかなせめぎあいである。

 さて、本来のカフェの役割はというと、コーヒー・紅茶をはじめとする飲み物の提供であるが、ビール、ワインなど、たいていのアルコール飲料もそろっている。食べ物は軽食から肉などの煮込み料理まであり、デザートメニューも豊富だ。夏の晴れわたった日、午前中の散策に汗ばんできたころ、カフェに入り、サンドイッチに中ジョッキぐらいのビールを注文するときの幸せといったらない。フランスのサンドイッチはダイナミックだ。たとえば中型のバゲットパンに縦の切れ目をいれ、さまざまな野菜を敷き、その上にローストビーフを詰めこんである。生き返った思いとはこれだ。

 カフェにはまだ他にはない大きな魅力がある。歩道の半分ぐらいを占領して椅子を並べたテラスだ。ここでのんびりくつろぎながら、歩いて行く人たちの姿を眺めて過ごすのは想像以上に楽しい。ところが、テラスに座って楽しげに話しあっている人たちや、ひとり静かにビールなど飲んでいる人を見ながら通り過ぎていく人たちにとっても、それは心の和(なご)むいい風景になっているのである。つまり、テラスは、座っている人にも、通り過ぎていく人にも、その両者に同時に素敵な世界を提供してくれているのだ。

 多様な観光客を集める昼のカフェは、夜ともなると、多様な文化人、芸術家をあつめ、熱い議論が繰り広げられる。カフェは国際交流の場であり、文化を熟成させる場である。


 

◆編集後記◆ 真﨑連載(3)を頂いたけど、他の原稿がない! ということで僭越ながら自分で書いてしまいました。埋め草にしては長すぎ! 申しわけありません。(岡田)

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