機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

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REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス TUTTI 第 40 号 2024.1.12 『霧』と『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』 大林 義博(テノール) 群馬県横川の標高は 387m、中山道の関所のあった坂本宿は 460m。そして長野 県との境にある旧碓氷峠(古代から峠のことを「坂」と呼び、峠の字が生まれたのは平 安時代の後半)は 1200m、その標高差は 700m を越え、その山容は急峻です。 関東平野の暖かい空気は山を登るにつれ、気圧が低くなると膨張し、温度が下がり、 空気に含まれている水蒸気はやがて霧となり、この霧は年間 130 日以上も発生してい る記録があります。 碓氷バイパスを車で走行中、この霧に遭遇し、前を走る大型トラックの後を必死に追 いかけ、入山峠(1038m)を越えた怖い経験があります。 梅雨の頃には峠から離山付近まで霧雨が、追分から御代田に向かうと霧はなくなり、 佐久方面は晴天ということがありましたが、温暖化のせいでしょうか、この現象も少なく なったと感じています。 県歌「信濃の国」(明治 33 年,1900 年)6 番の歌詞「吾妻はやとし日本武嘆き給 いし碓氷山・・・」また日本で最も古いとされる「日本書紀」(720 年完成)では「日本 武尊、碓氷坂に立って吾嬬者邪【アズマハヤ】(ああ、吾が妻よ、恋しい)三嘆」の記事が あります。 古代史上の伝説的英雄である日本武尊の一行は、碓氷の坂道 12km(めしくい坂、 はね石、はね上り、ガリガリ等の地名が残る)険しく、足元も見えない、一歩も進めない 濃い霧の中、突然一羽のカラス(「八咫烏」【ヤタガラス】三本足で知られている導きの神) が現れ、その飛ぶ姿と落とす「ナギ」の葉をたよりに、山をかけ、岩を登るといつしかカ ラスの姿は消え、頂上付近でようやく濃い霧が晴れ、振り返ると関東平野は一面の雲 の海、それはかつて東国平定のとき、現在の浦賀水道(相模から上総)を渡ろうとする と、海が荒れ、海神の怒りを鎮めるため、妻の弟橘媛【オトタチバナヒメ】が日本武尊の身代 p40 - 1
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わりとなり、海に身を投じると、やがて海は静かになり、舟は無事進むことができたあの 想い出多い海であり、峠に立って「吾嬬者邪」と嘆いたのです。 群馬県吾妻郡嬬恋村~上田市との県境にある鳥井峠(1362m)から和美峠 (970m、軽井沢 72G~下仁田)までのいくつかの峠は、かつて碓氷坂と呼ばれてい た歴史がありますが、関東平野を望める旧碓氷峠の見晴台(1205m)は背後には浅 間山、それに続く北ア、南ア、八ヶ岳と美しい眺望が広がっています。 さて、この旧碓氷峠には昔から碓氷権現、熊野権現と呼ばれている神社があります が、明治維新後、群馬県側は熊野神社、長野県側は熊野皇大神社と称され、その本宮 は両県境にまたがり、日本武尊、伊邪那美命【イザナミノミコト】が鎮座している珍しい神社 で、創立由緒記には日本武尊の歓進と伝えられています。峠を下ること 2km で、中山 道 69 次のうち江戸から数えて 20 番目の軽井沢宿、更に 4.5km で沓掛宿へ、そして 4.3km で北国街道と分かれる追分宿へと中山道は続いています。 「 歌 う 」 白枝 庸介(バス) 40年前のある日、ある人に連れられて青山のシャンソニエ「青い部屋」に。プロの 幕間のお客タイムで歌を進められ、カラオケがあるとは知らず、シャンソニエなのだから と唯一歌詞を憶えていたアップテンポで愉快な曲「ジュンヌプパ」をリクエストしたとこ ろ、ゲストピアニストの上条いずみさんが『えっ、そんな曲知っているの!そのコード覚え ているから私が弾いてあげる!』となり、ステージで1番を歌っていたら『私も歌う!』と 戸川昌子さんが登壇して来て即興で掛け合いとなったのですが、酔いのため戸川さん が途中で歌詞が出なくなったので私がプロンプしながら3番まで歌い終えたら大喝 采!それ以来 戸川さんに気に入られ、こちらも楽しくて店に通い詰めるようになりました が、そこは戸川さんが歌手の生計と若手の育成を兼ねる店であるため歌手も幕間は接 客をしており、週末は本人も遊びに来て接客しつつも何時も大酔っ払いしているのでし た。 そのうちにキー(f)が同じ彼女の譜面をコピーしてもらい、骨太の訳詩が好きになっ p40 - 2
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た訳詩家・アン安藤さんの了解で詩をその譜面に書き写してカバンに数曲しのばせて おりました。結果、ある日「青い部屋」のゲストだった槇小奈帆さんからのお誘いで新橋 「アダムス」のライブを聴いた時など、他の客がひけた後にその譜面と上条さんのピア ノとで槇さんの歌唱指導となったこともありました。今にして思えば、このころが唯一人 生で歌を真剣に歌った一時期でありました。 ところで何故「ジュンヌプパ」を知っていたのかは、駆け出しサラリーマンの頃に上司 の代役で奥様の銀巴里「金子由香里プティ・コンセール」のお供を仰せつかった時、初 めて聴いたコミカルでウィットに富んだその曲想とシャンソンの幾分退廃的で幻想的な 雰囲気とに興味が湧き、先ずその歌を憶えたからでした。 先日の練習時、男性4人のユニゾンで初めて他の方の歌声に耳を澄ませ自分の声 を抑え気味に重ねた時、何とも言えない音の響きと心地良さを味わえました。 まだ音程が不安定で他のパートに引っ張られることもありますが、ユニゾンで経験でき た感覚を大切に、他のパートに耳を澄ませつつ自分の音をしっかり重ね合わせること が出来れば、合唱の素晴らしさをより味わえるものと、今後に期待をしています。肺の 病気の為に息切れしやすく長い音が苦手ですが、歌うことで肋間筋と横隔膜の動きを 活発にしてより息をながく、そして症状も改善できればとも思います。 今回 軽井沢シンフォにご縁を頂き『美しい村』にも巡り合えましたが、この組曲は軽 井沢人にとって素晴らしい文化財だと私も思いますし、シンフォで歌えることに大きな 幸せを感じています。そして早くハーモニーの必須の音源になれるよう“あの時以来の 真剣さ”で努力したいと思っています。 【編集後記】一年ぶりのTUTTI再開となりました。しばらく休載中の真﨑さんの「遠い国の物語」 を今度こそ、とお願いしていましたが、パソコン不具合のトラブル発生で、今号には間に合いま せんでした。次号には手書きでも御寄稿を・・・ 「新人」白枝さんからは他にも原稿を頂いていますので、次号以降、白枝連載の予定です。元祖 TUTTI 助っ人の山内さんはリハビリ中とのことでシンフォ復帰はまだ先のことになりそうですが、 TUTTI にも復帰してくださることを祈っております。(岡田) p40 - 3
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