TUTTI 第41号 2024.2.23
ステージ袖に立つ君へ 寺田和佳子
大賀ホールでの久しぶりの演奏が4月に迫っていますが、以前のように皆さんと元気にス
テージに立てる喜びを感じています。
歌えなかった時期をどう乗り越えて再び声を合わせることにしたのか、参加する団体それ
ぞれが持つストーリーを想像しながら、聴くことも楽しみの一つです。
さてこの間の飲み会でも話した通り、この団はこのメンバー通信「TUTTI」でみんなで文
章を紡いでいくことで、会えなくても繋がってきました。
「tutti」とは「一緒に」を意味しています。(練習中に「tutti で」と言ったら、「全員で一緒
に歌う」という意味になります)今回は私も寄稿することにしました。
今回は、再びステージに立てる日々が帰ってきた記念でもあるので、この団のオリジナルで
ある「美しい村」を原点回帰の思いを込め演奏することにしました。
合唱オペラ「軽井沢組曲・美しい村」は、2007 年に大賀ホールで初演されました。浅間山
の噴火、宿場町の賑わい、避暑地を築いた先人へのオマージュなど、1000 年の喜怒哀楽を
全 15 章の詞で表したもので、軽井沢にも人々で歌い繋げたい曲が欲しいという思いで、母
が中心となり星野和彦さんに詩を、若松歓さんに作曲をお願いしました。
演奏会でよく歌ってきたのは「霧の峠道」「宿場さんざめき」「青い鉄道馬車」「大日向レク
イエム」「美しい村」で、軽井沢の歴史や特徴をよく捉えた作品といえます。
例えば「霧の峠道」では、碓氷峠の険しさと、霧深さ、身代わりになった弟橘媛【オトタチバ
ナヒメ】への想いをどう感じて歌うのか? それには、歌詞をゆっくりと読み上げることに
尽きるでしょう。
声の出し方や、強弱などのアーティキュレーションなどよりも先に、言葉としっかり向き合
い、意味や風景を想像する。自分の中に情景を作り上げることが大切です。
まずは自宅で、文章の切れ目、意味、一息つく場所などを考えながら歌詞を読んでみてくだ
さい。読んで、誰かに聞かせるのもありです。自宅での練習はこれで十分。
次の段階はそれをどう伝えるか?になりますが、練習の際には私から「何をイメージしたい
から、こうしてみてください!」と言うようにしていきます。
作り上げているのは指揮者ではなく、歌い手である皆さん一人ひとりです。「私はそのイメ
ージではないな!」と思うこともあるでしょう。そんな時はみんなと共有したい。
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演奏をする皆さんが何を感じて、何を表現したいのか?を持って借宿公民館に集まれたら、
次のステップにいかれそうな気がしています。
コロナ禍が災いで終わらず、シンフォの新たなスタートのきっかけとなること、みんなが元
気で歌っていられる時間が長く続くことを期待して、今後も指揮させていただきます。
分か去れ 清水俊直(テノール)
“かの時に 我がとらざりし 分か去れの 片への道は いづこ行きけむ”
人生には、選択を迫られる場面がある。時を遡れない以上、現在の立ち位置から歩むしかな
いが、あの時、別の途に入っていたら・・・という想いは、誰にもあるだろう。
歳をとると、懐旧の情も増し、おりに触れ、あの日の分か去れは、どこに続いていたのかと、
ふり返る事がある。
美智子上皇后のお歌には、深い味わいがある。
“さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿”
北国街道と中山道の分岐する追分の分か去れ、更科の月、吉野の桜と、踏み入る道の先は、
大きく異なるが、どちらの途にも、替えがたい風情がある。
自ら選んだ道を悔いることは したくない。
“馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何” 大好きな政宗公の詩である。若い頃
は、「不楽是如何」を「楽しまずは、これ如何」と、読んでいたが、自らが白髪の身になっ
てくると、「楽しまざれば、これ如何」と、読みたくなってきた。あるいは作者は、ここに
両方の意味を込めたのかもしれないが・・・
この歳になると、もはや分か去れの重大局面に出合う事もないかと思うが、老残の私には、
日常ささいな選択に悩む日々が続いている。ああ、今日は借宿の合唱練習の日だ。寒い。行
こうか、止めようか、クヨクヨする。独眼竜の一喝が響く。「何の! 残躯は 天の許すと
ころ 楽しまざれば これ如何!」
老人は、平伏して 重い腰を上げるのである。
白枝連載第2回 「歩く」
【編集後記】今号から TUTTI 紙面はアートディレクターの白枝さんが担当して下さること
になりました。歓迎感涙でございます。(岡田)
(白枝さんからも後記を一言、お願いします)
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