軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 2024.04.12
「 万国博覧会は夢の世界 」 白枝 庸介(バス)
1970年の夏、将来はデザイナーになると決めていた中学 2 年の坊主頭君は
会場近くの大叔父邸から 「大阪万国博覧会」 に何度も通いました。あらかじめ公式
ガイドブックをもとに描いた場内地図と、各パビリオンの姿・展示内容を書き写し
たリーフレットを手作りしていたので、概ねは彼の頭に入っていて、あの広さと
雑踏にも不安は無いようでした。
しッ しかし、足を踏み入れたそこは予想もしなかった夢の未来都市でした。
☆テレビでしか見たことが無い“本物のガイジン”が目の前にいっぱい居る!
☆人を乗せた四角い箱が音も無くスルスル走ってくる!
☆ガラス張りの筒の中の人が、立ったまま皆同じ速さで ス~ッと動いている!
☆コードが付いていない受話器だけ持った人が、楽しそうに話 (せて) いる?
☆卵型水槽の中の水着美女が回転水流と泡に包まれている! 人間洗濯機 だと?
巨大な「太陽の塔」やアポロ 11 号が持ち帰った月の石も強烈でしたが、それに負
けず劣らず瞼に焼き付いているのが、幾つもの☆達、初めてオンパレードでした。
「万国博覧会 ( EXPO )」とは、世界各国が高度な工業製品、最先端の化学機械、
美術工芸品等を出品展示する、5年に一度、期間半年で開催される国際的な一大
イベントで、1851 年ロンドンで第1回が開催された後、日本は徳川幕府と薩摩藩
が競って出品した 67 年パリ万博が初の参加でした。開催国は長く産業貿易振興が
主目的の先進国でしたが、近年では中国 ( 上海・2010 年 ) や UAE (ドバイ・2020 年
=コロナで翌年開催 )など発展目覚ましい中進国が国威発揚と国際的な地位向上
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を目指す傾向があります。 開催希望国は BIE ( 国際博覧会事務局:パリ) に出願
し、オリンピックと同様、競合国との数年にわたる熾烈な誘致合戦を経て国際投
票で開催決定するもので、欧米では高い価値評価と強い開催意欲がありました。
さて、70 年大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマに開催され、輝かしい未来
を発信することで、半年間に入場者数 6,400 万人という万博史上の大記録を打ち
立てました。そしてこの国家イベントの誘致開催を企画したのが、当時 通産省の
若手官僚であった池口小太郎氏。後に『団塊の世代』を著した作家・堺屋太一氏 で、
万博を通して得られた知見は長く氏の社会・経済・人間を批評する中心的物差しで
あったと拝察しています。
当時 団塊世代の皆さんは 70 年安保闘争に傾注で万博に批判的、高校生の先輩
たちはその煽りで斜に構え、小学生には早過ぎて、結果中学生の坊主頭君などが
一番素直に万博を堪能し、未来に夢を馳せ、様々な☆達を記憶に刻むことが出来
たのでした。そして坊主頭君はその 35 年後に、今度は見せる側、迎える側として
愛知県『 愛・地球博 2005 』会場に立つことになるのでした。
『 大阪・関西万博 2025 』まで4月13日時点で 1 年を切りました。予算の膨張
や工事の遅れなど理由に開催に否定的な声が多くありますが、万国博覧会は開催
目的の時代的変遷はあるものの、国家が国際社会に責任をもって行う一大事業で
あり、また夢に挑戦する場であることは変わりません。実は今回或る会社の社長
が小学生の時に大阪万博で出会った夢の機械 「人間洗濯機」 を今度の万博に新技
術でリメイク公開するそうですが、驚くなかれそのチームには 50 年前に三洋電気
で “あの機械” を創ったご本人 ( 83 歳 ) が技術顧問として加わっているのです。
万博の夢は絶えることなく次へと引き継がれるのです!(願) 『ばんぱく』よ!
フォーエバ~♪♪♪…(願)
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「追分火砕流」と「生死を分けた15段」
大林 義博(テノール)
浅間山の噴火で最初の記憶は、小学校六年生の時(S.33 年)空振(噴火による
空気の振動)により、校舎の北側のガラスが粉々に割れ、水で濡らした新聞紙に
ガラス片を付けて片付けました。
その後は 1 ㎝内外の小石の落下によりレタスやトウモロコシの葉がバラバラに
なった畑の被害(大日向地区北、火口から 6.0 ㎞)、屋根や車に火山灰が降ること
など、また、S.48 年(1973 年)2 月の噴火では石尊山の北(火口から 2 ㎞付近)
積雪 1m 位の山腹に火山弾が落下し、雪を溶かし、その下の凍土と表面の草を根
こそぎ吹き飛ばし、付近の立木の枝に飛び散り、また、火山弾は鋭利な刃物で切
り砕いたようにバラバラで散らばっていました(直径 1.2m 内外)。この年の夏に
登山した時の情景です。
我々が朝夕仰ぎ見る山、四季折々の変化を楽しませてくれる山「浅間山」標高
2568m は、黒斑山、仏岩、前掛山の三つの火山から構成され、2 万 4000 年前頃の
山崩を起こす前は、2800m 位の富士山型であったと言われています。
約 3 万年以上前から噴火を繰り返している浅間山が記録に出てくるのは「日本
書紀」の白鳳 13 年(685 年)「3 月是月、灰信濃国に零(ふ)り草木皆枯る」とある
のが最初です。
過去 2000 年の中で、最も大きな噴火を起こしたと考えられるのが平安時代の天
仁元年(1108 年、916 年前)群馬県の国司が朝廷への報告を記した藤原宗忠の日
記(中右記)には「左中弁忠長という人が国司からの進達書をもらい、それには
群馬県のはずれに浅間峯という山があって、大噴火を起こしその火が峰々を焼い
て、その炎が天まで達し、国中に降り積った火山灰により、田畑が全滅した」と
いう内容です。
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さてこの噴火、長野県側では「追分火砕流」と呼ばれ、進路にある樹木を巻き
込んで焼野原と化しました。(火砕流とは、400~500℃の高温の軽石、火山灰、岩
石が時速 100 ㎞で山麓を流れ下る現象)東は大日向地区から西は御代田町馬瀬口
地区、南は茂沢の湯川までと、面積 80 ?、堆積物の平均厚さ 8m で緩やかな斜面
を形成しているのが特長です。
この地域を土木工事すると、焼石と呼ばれる火山岩塊(直径 3m を超すものも
ある)の他に、直径 30 ㎝内外の「ナラ」の木の炭化した丸太が掘り出されます。
「追分火砕流」で埋まる前は、縄文、弥生時代の食料であったドングリの実のな
るナラの林であったことが想像されます。
浅間山は数えきれない爆発を繰り返していますが、追分火砕流(1108 年)から
675 年後、江戸時代天明 3 年(1783 年)4 月から 7 月にかけ噴煙が成層圏に達す
る爆発的噴火があり、追分、沓掛、軽井沢の三宿(人口 1166 人)では死者 1 名に
とどまりましたが、落下する高温の軽石などにより 185 軒の家が焼失したり、潰
れたりする被害が出ました。(当時の絵図などが残されています)
群馬県側では「鬼押出し」と「鎌原土石なだれ」によって、1500 名近い尊い命
が失われ、約 1800 軒近くの家々が埋もれ、流されました。この時の溶岩は浅間山
の火口壁が低い群馬側へ流れました。鎌原村では、観音堂の石段 15 段以上にかけ
登った 93 人が生き延び、477 名が犠牲となりました。この石段は全部で 50 段あ
り、「生死を分けた 15 段」とも言われ、昭和 54 年(1979 年)の発掘で 50 段目の
石段に足を掛ける寸前、土石流(厚さ 6.5m)で息絶えた女性二人の白骨化した遺
体が発見されています。
鎌原は生き残った住民が同じ場所に戻って、村を再建した非常に珍しい例と言
われています。
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遠い国物語(14) ストラスブール 真﨑 隆治(バス)
パリの長距離列車発着駅は「パリ駅」というのがドカンとあるのではなく、リ
ヨン駅、北駅、モンパルナス駅など、行く先の地名とか、進行方向、駅の所在地
名などがつけられており、これらの駅がメトロ(地下鉄)で結ばれている。東京
の上野駅、新宿駅、品川駅などと似たようなものだが、近郊電車のホームはなく、
線路は突き当たりの終着駅であり始発駅である。ストラスブールに行く列車はフ
ランス東部やドイツなどに行く「東駅」から出る。パリ=ストラスブール間の走
行距離は 500km 弱。1975 年当時は急行で4時間半ほどだったが、その後にでき
た TGV(新幹線)の路線では 400km 弱の距離で1時間 45 分ぐらいで着いてしま
う。時代による変遷の大きさは驚くべきだが、フランスという国での町のたたず
まいは日本のように目まぐるしく変化はしない。今通りを歩いてみても、僕がい
た当時とほとんど変わらない町並みに出会えるだろう。
ストラスブール駅に着いて構内から出ると横幅 200m、縦は 50m ほどもある長
方形の大きな広場で、向かい側には7階建てのやや黒ずんだ茶色のアパルトマン
(集合住宅)がぎっしり建ちはだかり、パリの、両手を開いて迎えいれてくれる
ような明るい灰色の建物とはまるで違い、人を圧する重厚な雰囲気があった。慣
れてみれば威圧的ではなく素朴で陽気な人々の住む町であることが分かってくる
のだが、はじめは、ここはフランスでなくドイツだという印象を抱いてしまう。
到着したのは1月末だったが、土地にもなじんできた4月のころ、町なかを流
れてライン川に注ぐイル川のほとりを散歩していたら、ドイツ人の観光客にむか
って「ドイツ人帰れ!」と叫ぶ人がいた。日本でも戦後すぐは「ヤンキー、ゴー
ホーム」などと言っていたが、戦後 30 年も経ったという時にあたって耳にしたこ
の声の激しさにはショックを受けた。その夏パリに住んでいるフランス人の友人
がストラスブールに遊びに来た。駅前の前述の風景とか、町の中心からバスで 15
分ほど乗れば着いてしまうライン川対岸の小さなドイツの村で、彼がしきりに「怖
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い、こわい」と繰り返すのにも驚いた。ヨーロッパというそこかしこで国境を接
しあっている地帯に住む人々が戦争にたいして抱いている恐怖感は、島国に住む
日本人の想像も及ばない深い傷を残していることをまざまざと知らされた。いま
だに継続しているウクライナでの戦争についても、フランスの別の友人から、「飛
行機ならここから2、3時間のところでの戦争だよ」と書いてきたのも胸を突か
れる思いだった。平和は大事だ。だからこそ戦争の実態にもっと敏感でなくては
ならない。
僕はアルザスが好きだ。アルザスの人々が好きだ。アルザスの風景や気候は軽
井沢に似ている。ストラスブールという町は松本を偲ばせる。しかし僕が住んで
いたところから南に車で2時間足らずの山中ではまだ砲弾のかけらがいくらでも
見つかる。そこからわずか離れたところに建物の点在している場所があり、その
一つはユダヤ人を閉じ込めて抹殺したガス室であった。
音楽にはそうした戦争の悪しきものを乗り越え、国境を取り去り、皆と愛と平
和を分かち合う力がある。戦争の地獄を彷彿とさせるものが漂う世界の中で、僕
は豊かな音楽に出会い、真の喜びと平和を見いだしてきた。これからその経験を
お伝えしたい。
【編集後記】
白枝さんが「4月号に掲載を」と用意して下さっていた万博の思い出の記。3
月7日に予定稿として送ってくださったものです。1日も早くお元気になられま
すようお祈りしています。
大林さんの「軽井沢」シリーズはまるで教科書。毎回、知らないことばかりで
す。土を掘るたびに出てくる浅間石は 1108 年の噴火のものかもしれないのです
ね。
「遠い国」ついにストラスブールの町に入った!と浮かれていたら、島国で暮
らしていては味わえないような歴史の皮膚感覚に引き込まれました。(岡田)
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