軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 2024.05.17
スペイン合唱旅行 伊藤 綽子(アルト)
1996 年の暮れに、上の姉から電話が入り「今度うちの合唱団でスペイン・セゴ
ビアの合唱団と合同の演奏会をして、その後スペイン国内を旅行する計画を立て
たんだけど、放医研の人達も一緒に行かない?」という内容。また、旅行のプラ
ンと相手側合唱団との交渉は、旅行会社が全部手配するとのことでした。
姉は音大を出て当時住んでいた銚子地区でピアノを教えながら、合唱好きな女
性達を集めて合唱指導をしており、また、銚子から少し離れた両親が住む匝瑳地
区でも女性達に合唱指導をしておりました。
私は、千葉市稲毛にある放射線の影響とがん治療の研究所に勤務しておりまし
た。私を含め有志で合唱団を立ち上げ、7~8 名程からスタートし次第にメンバー
が増え、20数名の合唱団になっておりました。毎年病院のホールで、夏には“七夕
コンサート”、暮れには“クリスマスコンサート”を開催しておりました。1 時間足
らずの演奏でしたが、入院中の患者さん(中には「是非見たい」とストレッチャ
ーに乗せられて聞きに来られた方も)、医師、看護師、技師、他の研究部の皆さん
が聞きに来て下さいました。
12 月のクリスマスコンサートが終わって、合唱団のメンバーに“スペイン合唱
旅行”の話をすると5名が“参加したい”と手を上げました。年が明け、姉から楽譜
が送られてきました。3つの合唱団はそれぞれ練習し、合同の練習は数回行いま
した。
[ 3 月 24 日(月)]
さあ、いよいよ出発です。
総勢 35 名成田空港に集合し、13:45 予定通り離陸。同日 22:05 マドリードに到
第 44 号
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着。
[ 3 月 25 日(火)]
ホテルに到着し部屋から下を見ると、ホテルの前にエスパーニャ広場があり、
その中心に大きな“セルバンテス”の像、その前には“馬に乗ったドンキホーテ”と
“従者サンチョパンサ”の像が見えました。
午前中は市内観光でした。プラド美術館(16 世紀及び 17 世紀<所謂スペイン
の黄金期>に収集された作品が多いとの事)ではゴヤの“着衣のマハと裸のマハ”
を、他にもベラスケス等沢山の絵画を鑑賞しました。その後は、壮大で美しいマ
ドリード王宮を見学しました。
バスの車窓から市内を眺めると、広い道が四方から集まるロータリーの中心や
公園には、コロンブスの像やカルロス 3 世の像などが置かれていました。
スペインでは街のあちこちに大きな広場や公園があります。その中心には、政
治的・文化的に功績のあった偉人や画家、小説家等の銅像が建てられており、市
民は“誇りに思う人物を常に称えたい”という“心のありよう”を感じました。
午後、バスで演奏会が開催される“セゴビア”に向かいました。町に入って直ぐ、
世界遺産として有名な“セゴビアの水道橋”を見物しました。
その後、会場の市民ホールで入念なリハーサル、そして本番です。先ず、私達
の合同合唱団の演奏(約 40 名)、次に姉の後輩4人のソロと四重唱を、そして現
地セゴビアの“AGORA 混声合唱団”(約 35 名)はミサ曲を中心に6曲歌いしまし
た。とても和やかな音楽会となり、いつまでも暖かい拍手をもらいました。
演奏会終了後“打上げ会”が行われました。全員が集まり、食べたり踊ったり
(AGORA 合唱団のメンバーからフラメンコの踊り方を教えて貰いました)、大い
に盛り上がりました。また、姉は宴会場の真ん中で大きな模造紙に太い毛筆で“春
爛漫”と書いて見せ、日本の書道の一端を見せるパフォーマンスもしました。夜が
更け、マドリードのホテルに帰ったのは 24:30 を過ぎていました。
[ 3 月 26 日(水)]
スペイン南部各地への観光が始まりました。
マドリードのアトーチャ駅から新幹線「Ave」でセビリアへ。車窓から、果てしな
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く続く麦畑、オリーブ畑を眺めて、セビリアに到着。市内観光で「カテドラル」
「ヒラルダの塔(市内の眺めが素晴らしい)」「アルカ―サル」を見物していると、
遠くから音楽隊の音。スペインでは毎年3月末に「聖週間」の行事を行っていま
す(年によって日程は変わる)。丁度そのパレードに遭遇しました。先ず、十字架
に磔にされたキリストが山車<京都の祇園祭の山車のような形・大きさ>の上部に
置かれ、運ばれます。(山車の下部は布の幕に囲われていて、その中で若者(約 20
名)がゆっくり歩いて山車を進めて行きます)。次はマリアの山車。マリアは白い
美しい衣装で立ち、キリストへの祈りを捧げています。山車の周囲全てを白い花
で囲み、悲しみを表しています。そして、喪服の一般女性の列、警護隊、音楽隊、
そして、青くて頭上が 40cm 程尖った三角帽の覆面に白いガウンの衣装の一団が
続きました。
[ 3 月 27 日(木)]
バスでグラナダへ。先ず、是非見たいと思っていたアルハンブラ宮殿(スペイ
ンは一時イスラムに支配され、その文化を色濃く反映した宮殿)。漆喰に繊細な彫
刻を施した壁、獅子のパティオ、カルロス5世の中庭、離宮へネラリーフェの美
しさに溜息をつきました。その日は、バスでジプシーの洞穴居住区域タブラオに
行き“フラメンコ”を見ました。何処から出すのか“叫び”のような歌声、激しく掻き
鳴らされるギターの音色、狂おしい程の踊り、絶え間ない手拍子、踏み鳴らす足
音に、虐げられてきたロマ(ロム)の人達の、誇り・情熱・激情・切なさを強く感
じました。
私は、高校時代は音楽部に所属し色々な曲を歌っていましたが、一番思い出す
曲は“流浪の民(ブナの森の葉隠れに…)”です。この歌の流浪の民は、“ロマ”の事
を指すそうです。
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ロマ:Roma
☆ インド北部が起源。5 世紀から中東欧を主として世界各地に居住する民族グル
ープ。
☆ 複数の経路で度々インド方面からヨーロッパへ移動してきたと考えられる。
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☆ 「ジプシー」など「エジプト人」に由来する呼称も多く使われる。
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[ 3 月 28 日(金)]
バスでマラガへ移動し、地中海が見えるホテルで昼食を取った後、空路バルセ
ロナへ。コロンブスの記念碑(右手は高々とインドの方角を指している)、町で大
道芸人のパントマイムを見物、ホテルで夕食をとった後、有名なグループのフラ
メンコ・ショーを鑑賞することになりました。最近は「フラメンコはアンダルシ
ア地方(グラナダ)より大都市の方が上手な芸人が多い」と言われているそうで
すが、私は昨日のタブラオでのショウの方がずっと気に入りました。
[ 3 月 29 日(土)]
午前中、バルセロナ市内を観光。フェ二キア時代から歴史を積み重ねてきた古
い街並みを歩いているとローマ時代の遺跡に出会いました。ピカソ美術館(ピカ
ソの幼年・少年・青年時代のスケッチ・落書き・習作を興味深く見ました)、聖家
族教会、モンジュイックの丘、唯一無二の建築家・ガウディ設計のサグラダファ
ミリア教会・ミラ邸・グエル公園を、名残惜しい気持ちで見物しました。
[ 3 月 30 日(日)]
今日が最終日となってしまいました。
荷物をまとめて、ロビー集合10:20。沢山の思い出が残りました。皆さん有難う。
帰路は、ロンドン始発でバルセロナ 13:30 発の便を予定していました。ところ
がロンドン出発が何かのトラブルで遅れ、バルセロナ到着が約 1 時間遅れました。
それを少しでも取り戻すために、全員、待合室から飛行機まで大きいトランクを
引っ張り、大汗を掻かきながら成田行きに乗り込むという“ハプニング”がありま
した。
もう一つ、シベリア上空で“へールボップ彗星”を見るという、こちらは嬉しい
“ハプニング”でした。そして、成田空港に 12:10 全員無事帰国しました。
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「パソコン IT たいへんの記」 白枝 庸介(バス)
ある日、突然『McAfee ( マカフィー:Microsoft 社系のウィルス駆除ソフト)』から
「ウィルスに感染してプログラムが破壊された!貴方のセキュリティソフトは期
限切れ!ウィルスを駆除するには〇〇〇をクリック!」というポップアップが け
たたましい警告音つきで送られて来ましたが、それは McAfee ソフトの購入を促
すストーリーでした。何度消しても繰り返し現れるのでIT技術者の娘婿殿に問
い合せたところ「購入手続きに誘導してクレジットカードの情報をハッキングす
る詐欺が疑われます」との由。婿殿は早々にリモートアクセスで私のPC内のウィ
ルスをクリーニングのうえ ”本物の McAfee“ を組み込んでくれました。
以前から性急なものや高圧的なものは詐欺を疑うことにしていますし、落ち着
いてネット上を検索すれば “本物から正規” の注意喚起や対策情報が発信されて
いるとはいえ、IT 弱者の無知や動揺につけ込む手口は対処が面倒で不愉快です。
この一件で暫く忘れていたITストレスを久し振りに味わったのでした。
48年前、学生の私は助教授から旧式の (両側に穴の開いた帯状) 連続用紙に種
類の違うドット類がグラフィカルに展開されたものを見せられました。それはコ
ンピュータグラフィックの初歩的試作品だったのですが、その時コンピュータグ
ラフィックの仕組み以上にコンピュータ通信の未来妄想の方が印象的で、その夜
“人間のコミュニケーション(意思の伝達)” について考えることに。
ものごとを伝える変遷において、太古に「言葉」により身体の壁を越え、古代に
「文字」により時間の壁を越え、中世には「複製印刷技術」により身分の壁を越え、
近代には「通信」によって距離の壁を越えましたが、それが将来コンピュータ通信
によって “双方向性” をも持つようになれば、中世以降に固定されてきた少数の発
信者(=強者)と圧倒的多数の受信者(=弱者)という一方向の関係性が崩れ、数多の
元受信者からも勝手無秩序に情報が乱発される “情報アナーキー” になるのでは
ないかと不安になったことを憶えています。
(きっと)その頃 “コンピュータのパーソナル化” の将来像がひらめいた同年齢の
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ビル・ゲイツ青年はその後に『Windows』で世界を席捲しましたが、不安の気付き
を活かせなかった私は、20 年後に職場に導入された Windows パソコンの複雑な
操作とネット通信の急伸に翻弄され続けることになるのでした。嗚呼
今は現役界の情報錯綜から距離を置いて穏やかに過ごせていますが、あれだけ
ストレスの元凶だったパソコンは、スマホともども生活に必需で手放せません。
例えば中山道歩きの準備では、峠道の勾配と距離から所用時間を割り出す為に「ネ
ット版・国土地理院デジタル標高データ」が有効ですし、予定の道中を実写画像で
事前確認できる「ストリートビュー」はイメージングに不可欠、という具合に。
結局これからも IT 通信に係わるストレスは “便利が産んだ不便が基(モト)” と割
り切るしかないのでしょう。嗚呼・・
「ストリートビュー」といえば、いつぞや愛宕山の別荘地を Alkinist していると
Google の撮影車が追い抜いて行ったので、暫く後にその場所をネット画面で確認
したところ、やはり我々夫婦が(顔消しながら)しっかりと写っていました。め
ったに画像更新する道ではなさそうなので、数年のあいだ、あるいはもっと後ま
で我々は画面に貼り付いたままなのでしょう。嗚呼・・・・
【編集後記】
またまた盛り沢山の TUTTI になりました。伊藤さんのスペイン旅行記は描写が具体的
で、ツアーに同行しているような気持ちになります。
白枝さんは一時退院中に原稿を送ってくださいました。ストリートビューにお散歩画
像が残るなんて。グーグルの地図を開いて「愛宕山」と入れましたが、ご夫妻が歩いた場
所が分かるわけもなく、見つけるのは断念しました。
真﨑さんの「遠い国」の物語は、来月号に掲載予定です。「鐘と蝉」のお話から始まっ
て・・・という予告を頂いています。どうぞお楽しみに。(岡田)
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