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TUTTI
2024.08.09
遠い国物語 (16) 「鐘と蝉と」 真崎 隆治( バ ス )
ヨーロッパときいてまず思い浮かぶ風景は、鐘の音がかなたの地平から聞こえ
てくる夕映えの野の風景であった。ヨーロッパなど見ず知らずの小学生のころか
らそうだったのだが、なぜかは分からない。本で読んだり、人から聞かされた覚
えはない。繋がりがありそうなものはミレーの「落ち穂拾い」の絵に強い印象を
受けたことぐらいだが、それもいつどこで見たのかの記憶がない。しかしミレー
の絵ははっきり覚えている。絵だから音はない。そこに想像が鐘の音を持ち込ん
で、未知の世界の郷愁めいた風景をつくりあげていたとしか言いようがない。記
憶の闇のなかをいくらさまよい歩いてもらちがあかないから、かつての僕にとっ
てのヨーロッパは夕暮の野に聞こえるかすかな鐘の音であったと言うしかほかに
ない。
その鐘の音を今や実際に聞こうとしているのだ。心がたかまらないわけがな
い。フランスについてはじめに滞在したパリでももちろん鐘の音は聞いた。しか
しそれは大都会の喧噪のなかでは街の騒音の一つでしかなかった。いいじゃない
か。ストラスブールなら話は違うだろう。アルザスの野を伝わりくる鐘の音はし
みじみと美しく僕を満たしてくれるはずだ。
ストラスブールでは学生寮の一室に泊まることができた。3階の端の狭い部屋
だが、家賃が安いので助かる。隣接する建物はサン・トマ教会という歴史的に由
緒ある教会だ。僕にあてがわれた部屋の横隣りが教会の建物であり、鐘楼は僕の
部屋のすぐ脇といえるようなところにあった。これは鐘に憧れて来た者にとって
なんと幸運なことだろうか・・・ だが、その時の僕は鐘をめぐる夢物語がここ
で終わりになるとは知る由もなかった。
寮の眼下には幅 15m ぐらいのイル川というライン河の支流が流れ、両岸は美
しい並木の散歩道になっていて、見下ろしているだけで心が安まってくる。鐘も
隣で鳴る。いいところに来たなあと感激にひたっていたそのとき、突如サン・ト
マ教会の夕べの鐘が鳴った。それは強烈な轟音だった。慣れてきてみればそこま
でいうほどの凄さではないのだが、これから暮らす異国の地にほっとして安らい
だ気分になった矢先なので、体が飛び上がるほどの衝撃を受けた。「カンカ〜
ン、カンカ〜ン」と優しく心に染みいるどころか、「グゥラガーン、グゥアンガ
ーン !!」と魂を引きずりまわすような音だったので、飛び上がるのも無理もなか
ろう。
フランスはカトリック教の国であるが、大雑把にいえば、ストラスブールは
16 世紀のころからカトリック教会に反発する、プロテスタント教会のフランス
での中心地となり、市内にはカトリック教会を押しのけるかのようにプロテスタ
ントの教会が点在している。そして、カトリック/プロテスタントを問わず、各
教会に鐘楼があり、それらが朝、昼、夕と時間にあわせ、行事にあわせ、なにか
につけて「本物の教会はここだよっ」と競い合うように鐘を鳴らす。すべての教
会が一斉に鳴らすとまでは言わないまでも、あちこちから鐘が聞こえてくる。日
本では想像できない風情だ。それと、日本の寺の鐘との大きな違いは、日本では
「ゴ〜ン」と「ゴ〜ン」とのあいだに結構長い間があるが、ヨーロッパのは一度
鳴りはじめるとしばらくは切れ目なく鳴り続ける。もう一ついえば、日本の鐘は
一つの鐘楼に一つだが、ヨーロッパの鐘は団体で鳴るのが基本である。
欧米と日本の音楽の相違のなかに、鐘の数や鳴らし方と共通したところがある
ように思える。バッハやモーツァルトにかぎらず、西洋の音楽は一つの楽章のあ
いだは音の流れが途切れることを知らず、メロディー線が終わっても、分散和音
だの通奏低音だのといって、音が鳴り続ける。そうはいっても休止符はある。し
かしその存在はしばしば切れ目のない音の持続を強調するための装置のように僕
には感じられてしまう。まあこのあたりのことはずいぶん雑な言い方で失礼。
他方、日本の音楽には間が多く、その創り出す静けさや緊張感が何とも言えな
い深みを音楽に与える。ヨーロッパに来てみて、国々により音楽はちがうものだ
と改めて感じた。音楽はその国の言葉によって独特なものとしてうまれてくると
いうことは以前から考えていたが、鐘の音にも本質的なものが現れているとまで
は思っていなかった。良い、悪い、ではない。そういうものなのだ。それにこれ
は、好き、嫌い、とはまた別の問題でもある。
2年半後に帰国した翌年の7月、思わぬ事から日本にも西洋の鐘と同じ現象が
あることを発見した。連れ合いの伯父の別荘が那須にあり、仕事を抱えて一ケ月
ほど過ごさせていただいた時のことである。
話は飛ぶが、「ひぐらし」とか「カナカナ」と呼んでいる蝉がいる。夏はじめ
の夕方ごろ、遠くの林から「カナカナカナカナ」という美しいなかにも哀愁を誘
う👉が聞こえてくる。東京練馬の母の実家で小学校3年生のときに耳にしたのが
最初だが、なんとすてきなんだろうと子ども心にも思った。それ以来「ひぐら
し」の👉を聞くのが楽しみになった。皆さんご存知のように軽井沢でも6月末あ
たりから夏が終わるまでのあいだ、いつも1匹だけ、姿も見せず、高い樹のなか
でどことも知れず鳴いている。
さて、那須の家の庭の一部がこんもりした林になっていた。そこで毎日数百は
いようかという沢山の蝉がギャーギャー鳴いていた。そのうるささといったらな
い。どんな奴だろうかと見に行き驚いた。図鑑で見覚えていた「ひぐらし」なの
だ。まさに絶句した。ひぐらしの品位が急落した。これではただの蝉のなかでも
とりわけ騒々しい奴ではないか。
ふと思いついてウィキペディアをひらいてみたら、《間近で聞く👉はかなり大
きく、遠くで聴く「もの悲しい印象」とは異なるともいう》とあった。「ともい
う」どころではないことを僕はしっかり確認した。この際ついでに、この短い文
章のなかで「聞く」「聴く」を使い分けているが、その意味があるのだろうか。
日本語版ウィキペディアにはこうした不注意なことが時に目立ち、信頼性に欠け
るところがある。それはどうでもいいとして、フランスで僕は鐘の音のすさまじ
さにあきれたのだが、その一方、本来自分勝手にいだいていた、夕べに野をこえ
て聞こえてくる美しく、静かで、哀愁さえこもっているとも言える鐘の音も、間
近で耳にするとなんとも騒々しい。となれば「鐘の音もひぐらしの鳴き👉も同じ
じゃん」てなことになるが、そうなると、近くで多数のものを聞くのと遠方で一
つあるいは一匹で発する音の違いは、両者に共通していると言えるのだろうか。
さてややこしくなってしまった。猛暑のなかで考えるのはここまでとしよう。
「暗闇で笛を吹くのは?誰」 岡田 弥生( 大林 義博 )
軽井沢町でも標高の一番低い、小さな別荘地に住むこと 10 年、様々な樹木に
囲まれ、夜になると真っ暗になり、聞こえてくるのは小川の流れだけになります。
7 月のはじめ、夜明け頃と夜 9 時頃に何とも奇妙な👉が林の暗闇の中から聞こ
えてきました。その👉は「ピーーー、ショーン。ピーーー、ショーン」とリズム
をもって、左の林の方で「ピーーー」、すると、これに答えるように右の林の方で
「ショーン」、この繰り返しが何度も続きました。
薄気味の悪い日が何日か過ぎ、録音して、合唱団の先輩に聞いてもらいました。
その正体はすぐに分かりました。「トラツグミという鳩くらいの鳥で、我が家では
ピーションとよんでいる……」という答えでした。早速調べてみると、ツグミ科
の鳥は全世界に分布していて約 300 種、昆虫や木の実を食べて生活し、鳴き👉の
美しいものが多く、「ウタツグミ」の名をもつ仲間もいます。しかし「トラツグミ
( 鵺 )」の鳴き👉は他のツグミと全く違って陰気で前述のように早朝や夜、曇天の
日に繁殖期になると鳴き交わし、全身が黄色の虎模様であることから名付けられ、
「 オニツグミ」とも言われているそうです。
さて、平安時代のこと、この👉を聞くのは不吉の前触れであるといって、大事
が起きないよう天皇や貴族は祈祷したという話もあり、平家物語には「不思議な
👉で鳴く得体の知れないもの」といわれ、これが「鵺」と言われるようになった
のはずっと後のようです。当時は顔はサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尻尾は
ヘビという怪獣( 妖怪 )と考えられ、源頼政が山鳥の尾羽根で作った先端にヤジリ
のついた尖り矢で見事射止め、その鵺を葬ったとされる塚が今でも残っています。
この「鵺」の主がトラツグミという鳥であると分かったのは、江戸時代であった
ので、長い長い年月の間、人々に不安や疑問を与え続けていたと思うと驚きです。
それにしても射止めた妖怪は何だったのでしょうか?
「このトラツグミ、現在でも 20〜30 年単位で時々話題になり、UFO だとか、
軽井沢でもある女子大の寮の周囲で夜中に口笛を吹いている不謹慎な者がいると
通報があり警官が出動したという話、またサスペンスドラマにも登場。『知ってい
ればしみじみと聞くこともできますが、女性一人では耐えられないかも知れない』」
とは先輩の話でした。

★トラツグミについて調べていったら
平安時代の鵺にまで話が深堀りされて
いった、というあたりで、これを書いた
のが岡田ではなくて大林さんだという
ことは明らかになりますね。暗闇の中
で不気味な👉を録音して大林さんに聞
いてもらい、👉の正体を教えていただ
いただけでなく原稿まで書いていただ
いた自分を「よくやった」とほめてやり
たいと思います。この👉に覚えのない
方はぜひ、インターネットで「トラツグ
ミの鳴き👉」で検索を。
3月8日朝、突然胸の激痛と息苦しさに襲われ 119 番したのですが、「軽井沢
の2台も御代田の1台も出払っており、御代田消防署の “緊急車両” が向います」
とのこと。気が遠くなるほど待たされて、やっと運ばれた車内は無味乾燥なワン
ボックス。そこが大賀ホール横の広い芝生公園だったので「ドクターヘリがココ
に来てくれれば速いのに!」と思いつつも、救急隊員殿が症状を聴いた後は絶え
間なく👉がけしてくるので、こちらも苦痛を紛らわすために いちいち答えたり、
どこを走行中かを聞いたりしていました。また、途中から乗り込んできた医師に
は『心筋梗塞でしょうか?』と問うたりもしましたが、『かもしれません』と実に
そっけない返事。最初の段階で胸に加えて👉中の痛みも告げたことで、その医師
も佐久医療センターも既に “大動脈解離” の疑いをもっていたのかもしれません。
そして、救急入口でストレッチャーに移されたところで 記憶が無くなりました。
助かった今だから言えますが、車内の装備に興味があった “救急車” に乗り損
なったのが残念でなりません。もちろん、二度と運ばれる気はありませんが。
診断書によれば、救急救命時と翌未明の容体急変時に、心臓血管外科チームと
消化器外科チームが(おそらくリレー形式で)2回執刀され、その後各科1回、
合計4回の手術と3ケ月間の闘病でしたが、優秀な医師と献身的な看護師、そし
て妻の支えと子供らの励ましによって無事に退院できました。血流障害によって
いくつかの臓器の部分や片方を失い、体重は十キロ減、筋肉は三割減、体力は半
減したものの、帰宅後は妻特製の“高カロリー食” のおかげでグングンと回復した
結果、一ケ月後にはコーラスの練習にも復帰できました。
当初に不安だった腹部の変調も無く、退院二週目には毎日一万歩のAlkinist に
戻り、いつの間にか、早い回復が当然のように感じていましたが、練習復帰の翌々
日に、無理を重ねた反動と増えた薬の副作用から、いきなり体調不良に見舞われ
ました。 そこで、救急から退院までの手術、治療の経緯や ICU での容体などを
記録と記憶で振り返り、そもそも 落命の可能性 もあったことを再確認したとき、
或る 直感 が下りてきました。
それは、今回、大いなる何か によって救われた、という感覚。むしろ発症は
寿命を延ばすための生活矯正の伝えだった、という解釈。また、“ 分か去れ ” に
あって、生かされたのだから、その時間を人生仕上げの充実に活かすべきだ、と
いう想い などです。そして、これらは人生で初めての 感得 といえるものでした。
今は、以前の身体に戻す、という意識を改め、腎臓負担を抑えた “ かしこい食”
に切り替えて、ゆっくり養生に勤しんでいます。発病の原因になった過去を悔い
てもしようがないし、傷んだ身体の未来を憂いてもはじまらない。旧中山道の完
歩を夢に見つつ、当面、五千歩 Alkinist の復活を目標に、シンフォで歌うことと
皆さんとの交流を励みに 今 を大切にしていこうと思っています。
ご心配をおかけしました。お気にかけていただき、ありがとうございました。
退院二ケ月目の7月末 記
追伸。 今日の診察で、予ねて手術で切断され、力が入らなくなっていた腹筋を
縫合し補強する手術をすることになりましたが、この不具合の解消は、コーラス
にも Alkinist にも好都合なので歓迎しました。8月下旬の事前検査で執刀可否の
判断に併せ日程決めをしますが、一週間の入院が敬老会のステージに影響しない
ことを今から祈るばかりです。 なにしろ “前科” がありますから・・・
【編集後記】
★お待ちかね「遠い国物語」の「鐘と蝉と」 練習日に目で催促し、申し訳ないなと思い
ながらもメールでも「どうですか」と催促し続けて書いて頂いたこの原稿を頂いた時は、
「待ったかいがあった!」と小躍りしました。でもまだ終わりではありませんので、みな
さんも「続きが読みたい」と真﨑さんに熱い視線をお送りくださいますよう、お願いいた
します。
★書いていただきたいなあと思いつつも遠慮してお願いせずにいた白枝さんのお話し。
ほんとうに奇跡のような御体験。山に空に花に草に感謝したいです。(岡田)