ただいま整形中でご迷惑をおかけします。読みづらい場合は、PDF版をご覧ください
軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 第24号 2021.1.18
55年ぶりの神さま 北村 宗太(テノール)
TUTTI 12月号を拝読して、山内彦太さんの外国語による理解の難しさと滑稽な、誤解からくるお話、そして岡田弥生さんの白夜のキジー島体験談を堪能した後記に、「原稿募集」と目に止めて、すぐに机から原稿用紙を取り出して、今、書き始めました。何しろ毎号毎号のTUTTIの充実ぶりに刺激を受けていましたから。
僕は8年前、東京から移住した直後、「万咲」で隣の席の真﨑先生と飲みました。歌など唄った事もない僕の身の上話を聴いて下さった後、合唱団に入らないかと誘われたのです。僕は「やります」と答え、その週の練習から加わりました。
この出会いが僕の歌との出会いとなり、ほとんど歌う機会のなくなった現在、「ガレージ18」という西軽井沢追分交差点東の「バー」で2日に一度程度、唄わせてもらっています。選曲も任されるので、クリスマスの頃は賛美歌「さやけき星はかがやき」や「キリストにはかえられない」(「ガラリヤの風薫る丘で」「シューベルトのアベマリア」)を唄います。
万咲での真﨑先生とのお話の時、多分こんな話をした憶えがあります。僕は両親、その祖父母全員がクリスチャンの家に、戦後すぐに未熟児として生を受け、「おぎゃあ」の一声さえ出せなかったのを、おもいきり尻を引っぱたかれ、やっと「おぎゃあ」と小さく言ったそうです。母はお乳が全く出ず、父が牛の胎盤を手に入れ、それを飲んで、からくも生きました。両親は、このか弱く、しかし大切な子を、まるで神の子キリストの再来と思い「宗教に太い子」宗太と名付けたと後で聞きました。
18歳の時、「洗礼を受けろ」との父の命に従い、疑問を持ちつつ受礼し、京都の大学の商学部におそらく最下位の成績で入学し、一人下宿したものの、その疑問が再発して哲学書を読み出し、会計学の授業など受講しませんでした。
ニーチェの「神は死んだ」「全ての意味の無い空しい生活」 ニヒリズムにどっぷりつかり、夏休みの時だけは、神戸の祖母の元で暮らしながら、神戸YMCA、余島キャンプリーダーとして、神戸の子女を小豆島の離島「ヨシマ」に連れて、1週間から2週間のキャンプをして、子供の成長を見、楽しみ、驚きのボランティアに明け暮れました。
僕を軽井沢に呼んでくれたのが、キャンプリーダー同期の友人でした。追分の別荘に4日も泊めてくれ、その最後の日に、彼の別荘を建てた業者から「北村さん、そんなに気に入ったなら、良い物件がありますよ」と誘われ、ついていくと、温泉付きのマンション。東京のマンションの半額なので即決し、真﨑先生との出会いに繋がったのです。
その後は奇跡の出会いの連続連続。音楽仲間、芸術家仲間に恵まれた今、思うのは、ニヒリズムの55年の僕の生活の中で、美を求め続けた結果、自分の中にひそんでいた神と出会えた奇跡です。苦難に満ちた55年の全ての経験が、無駄などころか、一つ一つが今の自分の充実に繋がっている喜びにあふれています。真﨑先生以下多くのクリスチャンとの交流。同じ大学の先輩牧師の追分教会。同じマンションの西軽井沢教会の人々。ライブ会場の奥様の属する「ものみの塔」の人々。・・・・・・母は生前、僕に、どんな宗教であれ「神さま」に近づく人には敬意を持って接しなさい、本当はみんな、良い人なんだから」と。
真﨑先生、大林さん、頑張ってください。
蛇足になりますが、僕の座右の銘を。
ニーチェ 「世界にはキミ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。ひたすら歩め。」
ダーウィン 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのではない。唯一、生き残るのは、変化できる者である。」
ラインハルト・ニーバー牧師 「神よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知をお与えください。」
最後に、ウィリアム・シェイクスピア「人生はただ歩き回る影法師。舞台の上で、見栄をきったり、わめいたり、そして、あとは消えてなくなる。」
この4賢人の言葉が僕の指針でした。しかし、今、僕はそこに付け加えます。「美を求めよ。自分の心の中に、その心を見つけよ」と。
どんなに貧しい人も、苦しむ人も、富であふれている人でさえ、心の美、それは「愛」かもしれない、それを求めて平等なのではないでしょうか。現代の英知にみちた哲学者ハラリ氏は、「人間は動物で、時に欲深く、凶暴で、戦争さえ起こすけれど、そのことを忘れないで話してきた賢人たちの言葉に従うならば、人間の未来は明るく希望に満ち、ホモサピエンスから、新しい人類に生まれ変わる日が近くなる」と断言しており、僕も同感です。その日の為に、残りの人生の全てをかけて戦いますことを誓って、終わります。
困ったら「シトー・ジェラーチ」 キジー島② 岡田 弥生(アルト)
初めての白夜に興奮して寝不足のまま迎えたキジー島の朝は、「こんなに青い空があったのか」とびっくりするほどの晴天でした。しかし、美しい朝の喜びを台無しにするモノが船外の草地に転がっていました。大の字になって伸びているロシア人のおっさん。
その「おっさん」は、昨夕、船に乗り込んだ私たち一行を満面の笑みで出迎えた人でした。テーブルの上にはウォッカの瓶が数本。乾杯できる喜びにはちきれそうな「おっさん」は、ロシア連邦カレリア共和国ジャーナリスト同盟の代表で、今回のキジー島取材の現地コーディネーターなのでした。「さあさあ乾杯しよう」とグラスを手渡された取材班はしぶしぶ乾杯だけにつきあい、早々にベッドにひきあげました。
船の船長とコックさんの話によれば、「おっさん」は典型的なアル中で、用意したウォッカを飲み切り、「もっと出せ」と要求して暴れるので船外に放り出した、とのことでした。
絶句する取材班。今日一日の取材許可は、この「おっさん」にかかっていたのです。事前に話は通っているとはいうものの、現場の責任者から杓子定規に「で? 書類は?」と高圧的に拒絶されれば手も足も出ない。ロシア歴の長いHさんも頭を抱えています。でも、とにかく、木造教会群のある島の反対側に行くしかない。船は、大の字の「おっさん」を草地に放置したまま、出発しました。
観光客を乗せた高速船がまだ到着しない早朝の木造教会群。またしても、だーれもいないという贅沢。澄み切った空気。雲一つない青空。こんな素晴らしい朝なのに。いったい撮影許可はどうなるのか。
不安は、しかし、感激に変わりました。
木造の教会群も、博物館も、出入り禁止の綱まで外して「さあさあ自由に中に入って」と熱烈歓迎。鐘楼で大小の鐘を鳴らす時も、鐘楼守の青年が私たちを鐘楼の上まで上げて、演奏の様子を見せてくれました。
どうやら「ジャーナリスト同盟の代表泥酔事件」は、あっという間に島の住民に広まって「日本人が困っているらしい」「ロシア人として恥ずかしい」「できることは何でもしてやろう」というような機運がぐぐっと高まって、善良なロシア魂が爆発したようなのです。当初の予定にはなかった、住民の民家にまで招待されました。自然保護区を警備している警察が船を出してくれて、キジー島の対岸の島に上陸させてくれて、3つ並んだ教会を撮影させてくれました。「おっさん」がジャーナリスト同盟の権威をひけらかしていたら、こんなに親切にしてもらえなかったでしょう。
ニコニコのHさん。日本側コーディネーターとしては、頭を抱えてみせただけなのに、取材は大成功なのでした。「ロシアですねえ」と私。「ですねえ」とHさん。
私がモスクワで働き始めた頃、ロシア語はまったく分からなかったので、困ったことがあるとHさんに電話をして、必要なロシア語を教わっていました。Hさんは言葉だけでなく、振る舞い方も教えてくれました。とりわけ私にとってありがたかった助言は、「困ったら、一人で解決しようとせずに、シトー・ジェラーチと頭をかかえて困り果てて見せる」というものでした。シトーはWhat ジェラーチはdo 「どうしよう」「どうしたらいいの」という意味です。Hさん曰く、「岡田さんが一人で頑張ろうとすると、ガンバッテネと言われます。ドウシヨウ、と頭を抱えていれば、ドウシタノ ドウシテホシイノ と集まってきて面倒をみてくれます」
ほんとかいなと疑いましたが、Hさんとの電話を切った後、椅子にぐったりと座り込んで、思いっきり大げさにシトー・ジェラーチと頭を抱えて見せました。すると、絵に描いたみたいにスタッフが寄ってきて、ドウシタノ ナニヲスレバイイノと大騒ぎになりました。そして、私から単語を聞き取り、事態を理解すると、解決に向けてテキパキと動き始めたのです。私がキイキイと指示をしても「ハァ?」と吐息をもらしていた彼らが。
命令されるとサボりたい。困っている人は放っておけない。この両極の振り幅が大きすぎて、まるで喜劇のよう。ロシアの戯曲や小説に出てくる人物は創作ではなくて活写であったのだと納得しました。
「おっさん」泥酔のおかげで、大成功となったキジー島取材。
帰りの艇内には、酔いから覚めて反省しきった「おっさん」の姿がありました。おのれの失態を悔やみ、胸を叩いて詫びる「おっさん」 これ以上ないほどの悲嘆。後悔。
だから、取材班も、「まあまあ、もう終わったことですし」と「おっさん」を慰め、Hさんがそれを通訳しました。
すると、憔悴しきってうなだれていた「おっさん」が顔をあげて、一言。「で、私のコーディネート料は・・・?」
Hさんは、この一言を取材班に通訳しませんでした。日露友好万歳。
【編集後記】
「原稿募集」の呼びかけに即座に答えてくれた北村さん、ありがとうございます。
1月号に間に合わなかった皆様、2月号は2月15日発行予定です。原稿は、2月12日頃までにいただけますと、ありがたいです_(._.)_ (岡田)