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軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 第27号 2021.4.17
ビーフステーキ・野菜サラダ・スルメ・チューインガム
山内 彦太(バス)
ビーフステーキ・野菜サラダ・スルメ・チューインガム……変なとりあわせですが別に料理の講習をするのではなく、音楽へこれらを結びつけようとしているのです。
数多い曲の中で、ビーフステーキの様に油っこく、重厚な感じのするものがあります。例えば、ベートーヴェンの第9交響曲、ブラームスの第1交響曲、チャイコフスキーの悲愴交響曲、ベルリオーズの幻想交響曲などがあげられるでしょう。(無論、個人個人によって油っこく感じるとか、或いはあっさり感じるかは違いますので、以下に挙げる例は、単に私自身がその様に思うのだとお考え下さい。)
これら重くどっしりとした曲は、いつどこで聴いても楽しいという訳のものではなく音楽に飢えている時や、ゆったりとした気持の時、或いは情熱的な時に聴くことによってその真価がわかるのではないかと思います。丁度、空腹の時に血もしたたりおちんばかりのビーフステーキを食べる如く。
それに対し野菜サラダというのはビーフステーキと違いよほどの満腹でない限り食べられるものです。つまり、いつどこで聴いても楽しめる曲、又軽く口ずさめるメロディーをもっている曲などが私のいう野菜サラダ的音楽なのです。ヨハン=シュトラウスのワルツ曲やショパンのピアノ曲、その他各種の序曲などが例としてあげられるでしょう。ベートーヴェンの田園交響曲やモーツァルトの第40交響曲などは盛りのよいハムでも入った野菜サラダの様な感じが致します。
ビーフステーキを食べましてもたいてい野菜サラダがついているのと同様、内外オーケストラの演奏会をみましても、その殆どが野菜サラダの代表者たる序曲又はそれに類するものと、ビーフステーキの代表者たる重厚な交響曲がプログラムに組まれております。これからしましても、食べ物に対する欲望と音楽に対する欲望とは何か共通点があるのではないかという気がいたします。
ところでスルメの様な音楽と申しますのは、御存知の様に、スルメは、しゃぶりはじめは硬く余り味がしませんが、かみしめればかみしめる程、味がでてきて柔らかくなりのみこめる様になります。即ち、聴きはじめは何かとっつきにくくても、何回も聴いていくうちにその音楽の良さがわかってきて、しまいにはその良さが忘れられなくなる様な曲をスルメ的な音楽といえるでしょう。私の考えではバッハのオルガン曲や、ラベルのボレロなどがその典型的なものではないかと思います。従いまして、このスルメ的音楽というものは演奏会では不向きでありむしろレコードで何回も聴くことによってその神髄を求めるべき性格のものと言えるのではないでしょうか。
さて、最後のチューインガムですが、これはスルメとは全く逆のものであり、はじめ甘くて口当たりも良く結構いいのですが、時間がたつにつれ味がなくなり、かめどもかめども呑み込めない様な曲がこれに相当致します。現実にどの様な曲があるかと言われますと、色々さしつかえもありますので困りますが、音楽を聴く人聴く人によって、チューインガム的音楽というのも少なくないと思います。私は特に現代音楽については良くわかりませんので、最初リズムのおもしろさだけに興味をもち、注目した曲も、結局はその曲の中で一体何を言い表したいのかがくみとれず、いわゆるチューインガム的音楽ではないかと思うものが多々ございます。
ですから、色々新しい曲や聴きなれない曲を進んで数多く聴く事によって、案外チューインガムがスルメにかわっていく事もあるでしょう。そういう意味から、東フィルにお願いする訳ですが、ビーフステーキ プラス 野菜サラダというおきまりのコースばかりではなく、スルメを入れてみたり、又種類の違う野菜サラダの盛り合わせにしてみたり、バラエティーに富んだプログラムを組んでいただきたいと思います。私達聴衆に幅広く曲を紹介してゆく事も、定期公演会の一つの大きな意義だと思います。又、定期演奏会であるからこそ、大胆でユニークなプログラムも組めるのではないでしょうか。
要するに音楽とは読んで字の如く、音楽を楽しむものですから、この様に変なものに例えてみる事も、音楽を愛する一つの方法ではないかと思います。
(1968年11月16日 東京フィルハーモニー交響楽団 第119回定期演奏会のプログラム掲載原稿)
山手線みたいな食堂でした 岡田 弥生(アルト)
私の職歴は主に、零細出版社の書籍編集→零細雑誌社の編集ライターでして、この間に知り合った劇作家がモスクワに作ってしまった日ソ合弁企業に巻き込まれる形でモスクワで働くことになったのですが、モスクワで仕事をする中で、それまで知ることのなかった「ニッポンのサラリーマン」の姿を目撃することになったのでした。
モスクワの仕事は、主に日本人の出張者向けのホテルと食堂の運営でした。ソ連時代には外国人が宿泊することが許可されていなかったオンボロホテルの一部を改装しただけのホテルなので、ホテルのセールスポイントはただ一つ、「朝食は、和食です」というものでした。つまり、私の仕事はまず、「宿泊客のために朝食を作って出すこと」なのでした。
ごはんに味噌汁、焼き魚に小鉢2つが基本ですが、長期出張者もいるので焼き魚にも限界があり、朝からコロッケやトンカツなど揚げ物を出したりして一部のお客さんからは喝采、一方からはため息。「ここの朝食を食べていけば、ランチ食べ損なっても大丈夫」というガッツリ朝食を出していました。
朝の食堂は、夜には居酒屋になります。お客さんは、日本の一部上場企業のサラリーマンかマスコミか大使館のみなさん。日本では私にはまったく縁のなかった人たちです。お客さんを眺めながら、「商社って、ほんとに、カラーがあるんだなあ」などと面白かったです。ミツイかイトウチュウかスミショウかショウジか、なんとなく分かるのです。また、「この人はメーカーさんだな」というのも分かるようになりました。商社マンとメーカーさんでは、明らかに違うのです。もちろん、新聞記者も大使館も一目瞭然。(ただし一人だけ、ロシア人だと思っていたら外交官だった。佐藤優さん。まったく日本人には見えませんでした)
ソ連がロシアに変わって大混乱が落ち着いてくると、中小メーカーもモスクワに進出してくるようになりました。たった一人でモスクワにやってきて、事務所を開いて、秘書を雇って、現地スタッフを雇って、お客さんを開拓する。見るからに気の弱そうなオトーサンでしたが、じわじわと仕事をすすめていく姿を尊敬の目でみていました。ある日、その人が朝食のカウンターで紙切れを見つめながらブツブツ言っている。「今日、朝礼で、初めてロシア語も交えてみようと思って練習しているんです」とのこと。オトーサン、偉いなあ、と心からエールを送りました。
別のメーカーの青年も、紙切れを手にブツブツ。 こちらは『恋のバカンス』をロシア語で歌っていました。なんでも『恋のバカンス』はロシア人なら誰でも知っている「ロシアの歌」なんだそうです。(ソ連時代に国営放送局の日本特派員だったロシア人が『恋のバカンス』を気に入って、モスクワのラジオやテレビの各部署に持ち込んで流行らせ、そうこうするうちにロシア語の歌詞もついてレコードになったのだそうです) ロシア語の先生から教わった歌を、事務所のローカルスタッフとの宴会の席で披露する予定なのでした。この青年は、モスクワの前は中東勤務だったので「みんなモスクワは僻地だとか言いますけど、僕なんかに言わせればモスクワは天国ですよう。酒は美味いし姉ちゃんはきれいだ!」と浮かれていました(この時、季節は初夏。モスクワのお姉ちゃん方は薄物の衣服を最小限まとう、という女の目にもまぶしいお姿で街を闊歩してました)
ホテルの宿泊者が減ってきたので、「出張者をわがホテルに」と生涯初めての飛び込み営業を始めたら、とあるメーカーでは所長さんがひょこひょこ迎えて下さり「営業活動してるんか。がんばるなあ。まあ一服していけや」とお茶を出して下さったことも。この所長さんもかつては見知らぬ土地で、飛び込み営業をしておられたのかな、と思ったり。
妻がありながらロシア人秘書に恋をしてしまったKさん。しかしそのKさんの妻は、バレエの先生に恋をしてしまった。いったいどうなる!と心配していたら、気配を察した本社から帰国命令。それぞれ別の人に恋をしている夫婦は、泣く泣く日本に戻っていったけど、あの二人はその後、どうなったのか・・・
銀行勤務のNくん。新聞記者になりたかったけど、一族の反対で堅実な銀行マンになり、ロシア語研修生となり、その後モスクワ支店勤務。でもやっぱり新聞記者になりたい。一族は「銀行はこれから給料があがっていくんだぞ」と転職に大反対。でも、ついに決断して、銀行を辞めてA新聞に入った。ロシア関係の記事でNくんの署名記事をみつけると、嬉しくなります。
実際には通勤で使ったことのない山手線。一人一人、みんな一生懸命働いている。そんな当たり前のことをしっかりと教えてくれたモスクワの食堂でした。でも、こうやってふりかえってみると、食堂というより「スナック」って感じですかね? モスクワで働いたけど、学んだのはニッポンジンのことでした。
【編集後記】
山内さんの原稿が1968年に書かれたものであることに驚かれたのでは? 50年以上も前の原稿なのに、すでに山内節です。山内さん、もしかして高校時代の文集でも、こんな文章を書いておられたんでしょうか?
さて皆様、TUTTI継続の危機でございます。原稿の貯金が底を尽きました(涙)
「もう書いたから」とおっしゃらず、原稿を書くことが苦ではない方、ぜひ2度目3度目の原稿をお寄せ下さいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。(岡田)