機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

浅間山紫

機関紙(TUTTI) | 軽井沢シンフォニックコーラス

REPERTOIRE OF KARUIZAWA SYMPHONIC CHORUS
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軽井沢シンフォニックコーラス TUTTI 2025.04.25 はじめまして 柳沢 弘美( ピアノ ) 今年1月からご縁あってピアノ伴奏でお世話になっております柳沢弘美です。自己 紹介を兼ねてピアノや合唱にまつわるお話を書かせていただきます。 ピアノとの出会い…幼い頃はオルガンでしたが、祖父からのプレゼントで習わせて くれました。私が初孫だったのでとても可愛がってもらい、後にピアノに替えてくれ て、"大きくなったらドレスを着て弾くんだよ"と言われたのをすごく覚えています。 歌うのも大好きで合唱クラブで歌っていました。 中学に入ると、当時は教科担当の係があり、私は3年生まで音楽係で、授業中先生 の代わりに伴奏をさせて頂く事もありました。 教科担任の水間先生とはご縁があり、音大卒業後には先生がご指導されていた FF ソサエティという男声合唱団の伴奏を結婚するまで、その後 13 年前から佐久ボラン ティア合唱団 (年間 6〜7 回介護施設等へ訪問し聴いて頂く活動をしている) で再び指 導・指揮のもと (先生 89 歳) 伴奏したり歌っています。 FF ソサエティを結婚の為辞める報告をした時に、先生から、辞める前にあなたの リサイタルを企画するからやるようにと言われ、私のピアノソロ、先生とのピアノ連 弾、友人とのエレクトーンとピアノのアンサンブル、合唱と、バラエティーに富んだ プログラムのリサイタルをさせて頂きました。その時のアンサンブルの楽しかった思 い出が、今も Duo SOIREE(デュオ ソワレ)として西沢さち子さんとのピアノデュオ で活動を続けている原点なのかもしれません! ピアノ連弾は 2 人で合わせて 20 本の指で演奏するので、一度に沢山の音が出せる 為、オーケストラで演奏する曲でもピアノ一台でほぼ再現できます。ただし、弾く位 置やお互いの手がすごく近かったり交差する時もあり呼吸やテンポなど合わせる事 がとても難しい場面も多いのですが、2人で音楽を創っていく楽しさやワクワク感は 格別です! 5月 24 日土曜日には軽井沢大賀ホールにて「25 周年アニバーサリー〜感謝と愛を 込めて〜Duo SOIREE ピアノ連弾コンサート」を開催致します。 今年は全曲オーケストラの為に書かれた大好きな曲を演奏致します。演奏活動を始 めて 25 年、人様の前で演奏する事が、非常に厳しく大変な事だけど勉強させて頂け るとの思いで続けて参りました。来てくださるお客様や支えてくれる友人、家族には 第53号
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感謝の気持ちでいっぱいです。 ぜひ足を運んで頂けたら嬉しいです! それから、6月 15 日のフォレストコンサートは、佐久ボランティア合唱団の 30 周 年記念のコンサートとかぶってしまい、昨年からの計画だった為、前任の清水先生と シンフォの皆さまにはご迷惑をおかけすることになってしまいました。申し訳ありま せん。 至らない点も沢山あると思いますが、皆さんの素敵な歌声の盛り上げ役が出来るよ うに頑張っていきたいと思っております。 どうぞ宜しくお願い致します! 「のど」と私 堂々 ひろ珠( ソプラノ ) 5 年前、ピロリ菌の除菌をした際に医者から「暫くの間、逆流性胃炎の症状が出やす くなるので気を付けて下さい」と言われた。 言われた通りにゴホゴホと、咳込みやすくなった。 一度咳込むと、かなり激しく、のどがヒリヒリと炎症を起こしてしまう。 ついには、食事中や珈琲を飲む時でさえ、むせてしまい咳込み、のどがピリッピリリ と炎症を起こすと云う負のループから抜け出せない。 コロナの時期には、単なる風邪で軽井沢病院に行ったにもかかわらず、当時の院長が 激しく咳込む私の姿を怪しみ、CT 検査を勧められ、挙げ句「こんな肺の映像は私は 見たことが無い!ガンではないと思うが私ではわからない」と大いにビビらせた。 その激しい咳の原因はこの映像に映っている影かも知れないからと、佐久医療センタ ーに紹介状を書かれ、2 週間後の予約を取ったものの、その頃には風邪の症状も治ま り、何の症状も無さそうな私と紹介状に添付された画像とデータを見た佐久医療セン ターの医者から「大丈夫だと思いますが、ご心配なら一応検査しときますか」と言わ れた。色々な検査をし「単なる風邪で、咳込んだ時に風邪の菌が肺に紛れ込んだよく ある症状で、ガンでもなく今は肺も綺麗ですよ〜」 と言うのが、半日かけた検査の結果であった。 以来、自分の体の事は、自分でどうにかするしかないのかも知れないと、「のど」に関 するネット検索をし続け、どうやら「繊毛(線毛)」ちゃんの働きがポイントだと行き 着いた。 次回があるとしたら、この「線毛」ちゃんと私、のお話をしたい。
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もう一人の主役 紳商・近藤友右衛門 見てきたような旧軽別荘地開発史 其の四/七 白枝 庸介( バ ス ) 拙宅新築の折、当地の代理人を介して名古屋の近藤という地主に或る伺いを立てま したが、それは敷地に接する砂利道が近藤さんの私有地であったからです。道を私有 するとは相当の大地主なのだと思いましたが、その後 書籍『近藤友右衛門と軽井沢』 に出会い、その近藤さんが友右衛門の末裔であることを理解しました。 旧軽別荘地開発の一方の主役は、名古屋の大綿糸商・近藤友右衛門 こんどうともえもん です。近藤も(野澤同様) 病気療養のため軽井沢を訪れ つるや貸別荘 に長期滞在していましたが、明治 43 年の大洪水の際には崩壊した二 手橋を自費で修復したうえ橋の下流部 100 ㍍に石組堤防まで築きま した。これを知った佐藤萬平は近藤を(予てより万平ホテルで長期療 養中の)野澤と引合せたことから互いに知己を得た可能性があり、こ の縁で野澤の長男・三喜三と近藤の長女・繁子が結婚して両家は姻戚関係になります。 また三喜三の会社が発行した新株を近藤が全て引き受けた返礼に野澤は現・新軽井沢 の土地を近藤に譲渡。近藤はその土地を野澤との共有地として別荘開発を行いました。 近藤友右衛門の事業については以下に代表的な実績やエピソードをお話しします。 ■見晴台と碓井遊覧歩道 : 近藤は本多のプラン に従って碓氷峠の頂上5千坪を取得のうえ平地 に均して展望台を造成。これまでにない観光名所 を造るとともに、二手橋から頂上までの 22 万坪 を買収し、水源も電気も無く不便だった峠町に浄 水槽と道中に水道線・電線を敷設し、併せ遊覧歩 道も整備するという7年に及ぶ大工事を行いま した。信仰心による奉仕の精神で熊野皇大神宮に多大な寄進をしたほか、村人には遊 歩道沿いの私有地で自由に間伐し(生活必需で貴重な)薪にすることを認めました。慶 應義塾に学び、日米欧の文化に造詣が深いうえに公共心に篤く、社会公共のため資金 を惜しみなく拠出する 所謂 “ノブレス・オブリージュ” の体現者、まさに “紳商” であ ったようです。なお、見晴台には迎賓別荘の「遠近亭 おちこちてい 」がありましたが、今は山門 ( 峠 頂上近くの駐車場から展望台に上がるときにくぐる門 ) だけが移築し残されています。 ■泉源亭と皇族 : 二手橋を渡ってすぐの右手に明治 31 年 末 松 謙 澄 すえまつけんちょう (内務大臣・子爵 で伊藤博文の娘婿) が 建てた豪華別荘「泉源亭」が現存しますが、大正 8 年に近藤が 譲り受けた後、ここには皇族が幾度となく訪れ滞在されています。先ず、大正 13 年 に北白川宮妃ご一家が二泊三日の避暑でご滞在。終戦直後の昭和 20 年には貞明皇后 ( 昭和天皇の母 ) が疎開で三ケ月お暮しになりました。前後して明仁皇太子 ( 現・上皇 陛下) の疎開が ( 御座所から松代大本営に移動する中継地として ) 検討されました。 ■見晴台の写真には遠近亭が写っている
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その案は終戦でなくなりましたが、その後の上皇陛下と軽井沢とのご縁は皆さんご承 知のとおりです。最後に昭和 22 年 昭和天皇が大日向開拓地ご巡幸の後、此処にご宿 泊になりました。軽井沢組曲『大日向レクイエム』の (初演時に大林さんが演じられ た) “ 天皇陛下の労いのお言葉 ”もこの時に発せられた、ということになります。 ■近藤長屋と軽井沢別邸 : 「近藤長屋」は広く知ら れていましたが、元々は近藤が開発事業の為の工事 職人用住まいとして建てたもので、開発終了後には 貸店舗として東京の名店に賃貸していました。その 裏手も含めた右図の全体は近藤が療養で借りた後 に つるや旅館 から買い取った貸別荘群だった敷地 で、別荘 Ⓐ Ⓑ二棟と会社 (信 しな 友 とも 商店 しょうてん ) の事務所を 建てました。ここには (娘も挙式した) 素敵なブライダル施設があったのですが、コロ ナ蔓延のために敢え無く撤退。跡地に“問題の建物” がまもなく完成するところです。 それは鶴屋旅館の向いに出現した “周囲を圧する4階建てのビル” です。売主は『客 室オーナーになることで別荘感覚でホテルを利用でき、利用しないときはホテルとし て貸し出すことにより維持費が低減でき、管理の手間が省ける 分譲ホテルコンドミニ アム 』と謳っています。建主側は (ロビー・飲食・温浴等共用部も共有持分の) 1棟を 丸ごと売却することで一気に収益できる上、ホテルの運営と居室の維持管理のビジネ ス資産ができる一石二鳥の賢い手法を考えましたが、問題は軽井沢を愛する者には耐 え難いその景観破壊です。利益の追求のみで “ 町並み形成の一翼を担う!というデベ ロッパーの矜持 ” がみじんも感じられない所業が悲しくてなりません。今年度 町に 「要綱等改正検討部会」 が設置された由。合法をタテに押し切られた本件を教訓にされ 『自然保護対策要綱』を “ 努力目標にすぎないルール ” から “ 罰則など法的強制力を 持つ条例 ” に強化・改正されることを切に願うものです。ガンバレ! まち役場 余談ながら、取り返しのつかない本件に潜むもうひとつの懸念は、この物件が資産 の国外逃避にはしる某国人にとって格好の仕立てであることです。売ってオサラバの 建主の後には 文化・歴史の価値を一顧だにしない所有者たちが残る こと。 【編集後記】☆ようこそ柳沢先生! 大賀ホールの 25 周年 連弾コンサート、楽しみです。 ☆堂々さんには「広島のお話を」とお願いしたのですが、喉のお話を頂きました。「繊毛って 何??」 と気になります。次号に続きを書いてくださる約束ですので、しばしお待ちください。 ☆旧軽別荘地開発史 今回の主人公、近藤翁のファンになりました。橋の修復や石垣堤防もす ばらしい公共心ですが、友人が来たら必ず連れて行く見晴台のあたりも近藤翁のおかげだっ たとは。先人から頂いた景観は、次の世代に残していかなくては、ですね。(岡田)
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