軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 2025.08.29
大旅行? 安光 榮子( ソプラノ )
思い返せば、はや 4 か月。4月18日夜の合唱練習を終えて帰宅後、翌19日朝出
発の旅行の準備を、疲れて寝ぼけた頭で懸命にしようと着替えの山とスーツケースを
前に格闘しました。旅の目的は夫の2月に亡くなった義理の伯母の納骨のため、下関
のお墓に行くことでした。しかし、納骨とその後の義母、義姉、夫の従兄弟/従姉妹
との昼食の後は、夫との6日間の旅行でした。4月下旬、軽井沢はまだ肌寒かったの
ですが、下関、その後の宮島、道後温泉、香川の屋島、奈良、京都、福井、金沢と、
暖かい気候のところもあり、日ごとに服装のコーディネートを試みましたが夫の、小
さめのスーツケース一つで済ませたいとの意向もあり、旅の途中で一回はホテルのコ
インランドリーを使用することになりました。
19日朝、東京駅はインバウンドの影響でしょうか、ものすごい数の人でごった返
していました。一つの改札を通り抜けるのに少しずつ前に進むといった感じでした。
夫は義理の伯母の遺骨を都内の伯母のマンションに取りに行って、新幹線の発車に何
とか間に合うように東京駅に戻って来ることになっていたので、私はスーツケースを
転がし、リュックを背負い、ショルダーバッグを肩にかけ、移動しました。新幹線に
乗る前に駅弁とお茶を買い、待合に何とか席を見つけ、時間まで座っていました。そ
の前にお手洗いの個室でもう少しでショルダーバッグをフックにかけたまま忘れると
ころでした。次に入った女性が「忘れてませんか?」と2、3メートル追いかけて来
てくれて事なきを得ました。危ない、危ない。日本でよかった!とホッとしました。
その時から荷物の数を常に数えました。
下関には新幹線は止まらないので新大阪で乗り継ぎ、小倉まで行き、ローカル電車
で下関まで戻りました。その晩は下関のホテル泊。翌 20 日、時折小雨がパラつく中
皆で無事に納骨を済ませ、関門海峡を臨む 「海峡ビューホテル」での昼の会食も済み、
皆それぞれの目的地に向かい、私は電車で再び下関から小倉に行き、そこで夫と落ち
合い、新幹線さくらで広島を経由し、宮島口に移動しました。夫の亡くなった義理の
伯母は下関出身で、故に彼女の希望もあり、遺骨の一部を関門海峡へ散骨すべく、夫
は関門トンネルを渡った門司側にある和布刈神社に依頼に行っていたのでした。さて
宮島口ではもう閉店に近い時間でしたが、老舗 「うえの」 で名物の穴子をいただきま
第57号
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した。夫は白焼きで私はたれ焼きの丼にしましたが、白焼きの方がしっとりしていた
ので、ちょっと残念に思いました。
翌21日朝は連絡フェリーで宮島に渡り、厳島神社と大願寺を訪れました。ここに
も多くのインバウンド観光客の方々がいました。厳島神社の本殿を巡り、海の中の赤
い鳥居も眺めました。そして宮島口駅に戻り、広島経由で呉港に行き、フェリーで2
時間、瀬戸内海に浮かぶ島々を船はよけながら、私たちは眺めながらゆったりと進み
ました。水面が午後の日差しでキラキラしているのがきれいでした。フェリーの中で
スペシャル (全部乗せ)うどんを昼食に摂りました。そして愛媛の松山観光港に到着。
そこから伊予鉄道の高浜駅まで歩き(暑かったですね) 普通電車で大手町経由、そして
路面電車で道後温泉に行き、オーベルジュ(宿泊施設付きレストラン)にチェックイ
ン。このオーベルジュは道後温泉と同じ原泉からお湯を引いているとのことでした。
夕食まで道後温泉本館近辺を散策。夕食は愛媛だからか、鯛が美味しかったです。お
肉もあったし、その晩の気分で赤ワインを 2 杯飲んでしまいました。大きなホテルで
はありませんが、下の階に温泉の浴場がありました。
さて、翌 22 日は香川にいる友人に会う約束がありました。朝、夫と一緒に道後温
泉を出て路面電車で松山駅まで向かいましたが、夫は途中下車し、松山城、その後の
姫路城観光のため手ぶらで行かなければならなかったので、松山駅で乗り換えの際は
私はスーツケース、リュック、ショルダーバッグを携行しながら、階段を使う地下通
路は使わず、ゴロゴロと路面を歩いて松山駅に行き、そこから予讃線に 2 時間乗り、
香川の高松駅乗り換えで屋島駅に行きました。屋島は単線だったかしら?、駅前には
わずかに車が数台停められるほどの駐車場があるだけの小さな駅でした。あの屋島の
合戦の屋島だとは友人から聞くまで思い至りませんでした。屋島駅には友人が車で迎
えに来てくれて、そのまま讃岐うどんを食べに行きました。友人とは東京新宿のある
外資の製薬会社の同じフロアで仕事をしていたことがありました。彼女と他、合わせ
て 4 人で食べに行ったり、映画を見に行ったりとした時期がありました。今思うと懐
かしい若い頃ですね。
讃岐うどんは、本場だから地場の自分でトッピングやつゆを入れたりするところを
想像して行ったら、規模の大きなきれいなうどん屋さんでした。彼女も香川に移って
2年ほどなのでまだ色々情報を集めているところなのだそうで。彼女の現在の住まい
にちょっと連れて行ってもらう前に海辺にちょっと寄って、目の前にまるで対岸の陸
地のように見える大きな小豆島を見ました。彼女の入れてくれたコーヒーをいただ
き、しばし話をした後、また屋島駅まで送ってもらいました。とても田舎なのでスー
パーやコンビニに行くにも車で15分かかるので、ホームベーカリーを買い、パンは
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自分で焼くのだと言っていました。ウグイスが鳴いていましたっけ。屋島駅からは軽
井沢まで帰りの JR 乗車券は一枚です。乗り降り自由なので失くしたら大変です。考
えてみたら、軽井沢を出てから、何枚もある乗車券、指定席特急券を日ごとに封筒か
らバッグのポケットに移しておき、順番に使ってきたのでした。これらのほぼ一週間
分にもなる乗車券や指定席特急券を、軽井沢駅のみどりの窓口で出発前日に二人分そ
れぞれをジパングで購入するのに一時間半を費やしました。旅程表を見ながら、窓口
の担当者も必死で指定席を予約し、券を発行してくれました。
屋島から高松へ、そして瀬戸大橋を渡り、岡山へ。新幹線さくらで新大阪へ。そし
て快速で奈良へ。途中、姫路で姫路城観光を終えた夫が乗り合わせて来ました。
( つづく )
大賀ホール(1) 真崎 みよ子( アルト )
2007 年借宿に転居し、翌年にシンフォニックコーラスに入れていただくと、2010 年
には何と軽井沢にこのホールありと期待していた大賀ホールのステージに立つことに
なりました。
ステージ練習の前に音合わせのためのラウン
ジに向かいましたが、入った部屋の正面の壁に
貼ってあったポスターが目にはいり、びっくり
しました。なぜならそれはまさに私が聴きにい
った日の演奏会ポスターだったからです。
当時私は東京文化会館まで歩いていける距離
の日暮里に住んでいました。「37年 (1962 年)
1月31日 」、「東京フィルハーモニー交響楽
団」、と懐かしい文字が並び、さらに、<独唱
大賀典雄 バリトン>とあるではないですか。曲
目はブラームスの『ドイツ・レクイエム』。名
だたる大曲です。恥ずかしながら私はその曲の
ことは覚えていません。
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それはともかく、独唱者の隣りには「国立音楽大学合唱団」と書いてありますが、
この数年後に結婚して国立に住み、働いた幼稚園が国立音楽大学から数分足らずの所
であったことを思えば、このポスターには私の青春時代がぎっしりつめこまれている
のでした。さらにこのポスターは私を追いかけるようにここに貼られて、待っていて
くれたのです。なんという偶然でしょう。いえ、偶然ではなく、これは運命です。こ
うして私は大賀ホールと結びつきました。
緑の音楽祭での初舞台で歌った曲が何だったかは、『ドイツ・レクイエム』を覚え
ていなかったのと同じにすっかり忘れていました。困ったことです。でも、大賀典雄
さんのお名前やお仕事のこと、大賀ホールが素敵な五角形であること、ここを借用し
て浦和の幼稚園児たちを連れてきてさまざまな時間を過ごしたことなどはしっかり心
に残っています。そのいくつかを思い出すままにしばらく書かせていただきたく、よ
ろしくお付き合いください。
【編集後記】
☆ 安光さんが大移動した、ということを小耳にはさんで原稿をお願いしたのですが、いやはや、
読むだけでも大変さが伝わります。文章にしてくださるのも大変なことだったと思います。重ね
重ねお疲れ様でした。そして、まことに恐縮ながら「つづき」の移動状況も楽しみにしております。
☆ TUTTI も50号を越えてついに真﨑みよ子さんの御登場です(*^^*) こちらも第1回なので
今後のお話が楽しみです。
☆「軽井沢組曲」再演への道。白枝さんの紹介文を読んであらためて「軽井沢組曲」の大切さを
思います。小学生から後期高齢者までが一緒に歌う情景を思い描いています。(岡田)
■お知らせ ①
☆ 茂沢にクマ出没(8月 22 日早朝) 犬の散歩で茂沢集落方面へ歩き、戻ってきた
時に、道路の前方の草むらから黒いものがコロンと出てきて、ころんころんと道路を
横断し、ガードレールの切れ目から草むらに姿を消しました。『あ。クマだ』と声に
出したのは、クマが道路から川の方へ姿を消した後のこと。駄犬は道端の草のにおい
を嗅ぐのに夢中で、何も気が付いてない。クマは小さく見えたので、もしや母熊が近
くにいるのでは、としばらく鈴を振り回して音を立て、ラジオでは音が小さいので音
楽にしてボリュームをあげて警戒すること数分間。恐る恐るクマ出没地点を通り過ぎ
て帰宅しました。
ピッキオに目撃情報を伝えたので、その後、近くに「周辺でクマの目撃情報がありま
した」という看板が設置されました。早朝はゴルフ場へ向かう車がけっこう通る道路
です。こんな道路でもクマが出るんだなあと、あらためて緊張を高めております。
(岡田)
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☆ 犬連れでクマと遭遇とはキワドイ状況!でしたが、ご無事で何よりでした。貴重なことゆえ情
報共有すべく制作部の独断にて 「お知らせ」 として掲載をいたしました。皆さま 「森の奥のことだ
から」 などと “たかをくくらず”、特に犬連れ散歩の際には十分ご注意くださいませ。(白枝)
■お知らせ ②
町内のコーラス団の方々に組曲初演時のリーフレットと録音CDの試聴・回覧を始め
ましたので、二点に同封した以下のメッセージも併せてご承知おきください。(白枝)
軽井沢組曲『美しい村』の演奏について
軽井沢組曲 「美しい村」は、日本武尊伝説とともに碓氷峠が登場する「霧の峠道」に
はじまり、旧中山道の宿場の賑わいを馬子唄風に歌う「宿場さんざめき」、浅間山の
天明大噴火をオペラ調に歌う「浅間山大噴火」、明治時代に軽井沢を見いだした宣教
師の歓喜の様子をゴスペルで表現する「あぁ美しき喜び」、戦後の大日向開拓の苦難
を描く鎮魂歌 「大日向レクイエム」 、そして 最後に軽井沢の春夏秋冬を謳い上げる
フィナーレ 「美しい村」 までの全14曲で構成され、軽井沢の風土に立脚し、文化、
歴史や自然環境などが多彩に表現されています。まさに軽井沢を愛する軽井沢人に
よって創作されたすべての軽井沢人のための楽曲です。
20年前、町民と東信地区の有志が大賀ホール開館を祝って「第九」を二年連続演奏
しましたが、その演者から38名が翌年に創作されたこの軽井沢組曲を歌い、それが
始まりとなって軽井沢シンフォニックコーラス団が立ち上がりました。その経緯か
らこれまで当コーラス団のみが組曲を演奏してきましたが、ひとつの合唱団では演
奏の場所や回数に限度がありますし、そもそも町内であまねく演奏するための楽曲
であるのに、そのことの周知・共有がすすんでいませんでした。
大賀ホール開館20周年のこの機に、組曲を町内で広く演奏いただくため、町の
皆様へのお知らせと楽譜の整備を当コーラス団で行うことにいたしました。つきまし
ては、町のコーラス団の皆様に 全歌詞を掲載した初演リーフレット と 2枚組の初演
録音 CD を展開いたしますので、記憶が薄れた方は曲の輝きを思い出してください。
組曲そのものをご存じない方は1曲1曲の詩とメロディーを是非ともお聴き下さい。
余談ながら、先日コンサート最後の全体合唱で歌いながら、ここで『軽井沢組曲 第
14 曲 美しい村』を歌えたらどんなにか素晴らしいだろうと、強く想ったところです。
軽井沢シンフォニックコーラス団 団長 大林 義博
担当 白枝 庸介
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