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軽井沢シンフォニックコーラス
TUTTI 第35号 2022.2.27
相変わらずの愚作 山内 彦太(バス)
突然変なことをお尋ねしますが、皆さんは「何だか知らないけどムシャクシャして面白くない」と思われたことはありませんか? 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式のもので、袈裟は何一つ憎まれる筋合いのものではないのに、憎まれるとは袈裟にとってはいい迷惑です。 何かわからないけど面白くない、では何かとは一体何なのでしょうか? コロナウイルスなのでしょうか? だとするとウイルスはこう言うでしょう。 「俺たちはお前ら人間よりもズーと前からこの世に存在しているのだから、今更何を言うのか! 同族のコロナだって一生懸命に生きようとして変異株を創り出す努力をしているのだから、お前ら人間がもっと先を見越してそれに打ち勝つだけのワクチンなり経口薬の開発をしないから悪いんじゃないか!」 悔しいけどぐうの音も出ません。
でも私たち人類はかれこれ2年以上の貴重な歳月をコロナ騒ぎで失ってしまった感がします。人間では凡そ考えもしなかった事をコロナウイルスはいとも簡単にこの世の中の常識を覆したのです。その為我々は大変窮屈で不便な生活を強いられ我慢に我慢を重ねているのです。
皆さんはどうか分かりませんが、私はこの現状に最早ギブアップ寸前です。つまり厭世家(ペシミスト)になりつつあるのです。こういう時は何をするのも厭で本を読む気にもなれず、物を書く気にもなれず、楽譜を見て歌の練習をする気にもなれず、ただただ無駄な時が過ぎていくのを多少の罪悪感を持ちつつ無気力に肯定しているのです。私はどちらかと言うと生来楽天家(オプティミスト)で子供の頃は家族からしょっちゅう「極楽とんぼ」と言われたものです。それが何故悲観的な事ばかりを考えるようになったのか自問自答したところ、結論は「私にはこれと言った仕事がない」からです。
2020年6月10日発行のTUTTI第17号で載せました「心訓7則」の第1則「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云う事です」 第3則「世の中で一番淋しい事は仕事のない事です」。 心訓7則に謳われているように、仕事が人生の生き甲斐なのです。7年前に完全リタイアして以来、生業としての仕事はなくなりましたがコロナウイルスが蔓延する前は行動範囲に何の制限もなく自由闊達に動き回っていましたので、悲観的且つ否定的なことを考える暇などなかったのです。処がこの2年数ヶ月は束縛された生活を余儀なくされ、無闇矢鱈と暇な時間が増えつまらぬ事を考えるようになりました。 決められた仕事がある訳でもないし、一人で熱中できる趣味(絵描き、書道、彫刻、陶芸の類)がある訳でもないので、野菜作りが出来ない半年間は特にボーっとして自分自身が「何もできないダメな役立たずの人間」に見えてきてペシミスト的感覚を持つ人間に陥ってしまうのです。
皆さんもこの長引くコロナ禍の下、決して愉快でルンルン気分ではないところにこのような暗い非生産的な文章を読まれて、なお一層気分を害されたのではないかと案じております。反面愚痴っぽく言いたい放題述べさせて戴いた私は、心の奥にあった蟠りが解けスッキリしてきました。これも偏に皆さんのお陰と感謝申し上げます。
皆さんのお陰と言えば私は生まれてこの方両親をはじめ本当に多くの方々にお世話になり、また多大なご迷惑をおかけしてまいりました。そこで、人生最後の時くらいは他人の世話にならず且つご迷惑をかけないようにしたいものです。それには長患いをせず、ピンピンコロリと彼の世に旅立つのが理想でしょう。 そのためには佐久市市原にある成田山薬師寺の参道に鎮座まします「ぴんころ地蔵尊」に足繫くお参りに行き、伴野酒造の「純米ぴんころ酒」を飲み、つまみに和泉屋菓子店の「ぴんころ地蔵サブレ」を食べることが必要でしょうか。こんなことで目的が叶うのでしたら万々歳です。そして最後の最後は一切他人の世話にならず自分で棺桶に入りお世話になった方々にお礼を申し上げ、自ら棺桶の蓋を閉めるというのは如何でしょうか?
ハングル事始め③(隣の国のお話) 岡田 弥生(アルト)
外国語の習得は、どちらかと言えば得意な方だと自認していますが、決定的に不得意なのが「聞き取り」です。私の耳は、カタカナでしか音を認識できないのです。聞き取れない音は、発音も真似できませんから、「発音」も致命的です。
どこの言葉であれ、いわゆるネイティブな発音は、私には、目標圏外とあきらめています。
もっとも、日本語初心者のカタコトの日本語でも、日本語話者の私たちは理解できるのですから、発音が悪くても通じてしまうのが言語の偉大なところです。カタカナレベルの英語でも旅行中のサバイバルには問題なし。ロシア語会話ももちろんカタカナ爆発でしたが、仕事に問題はありませんでした。だからもうしょうがない、発音はご勘弁、とほとんどあきらめて、ハングルもカタカナレベルでお勉強をしています。
日本語の母音はアイウエオの5つですが、ハングルでは8つ以上あります。
ハングルでは、アとイは1つですが、日本語のオに聞こえる母音は2つあります。ひとつは、「アの口の形でオを発音する感じ」と説明されるので、私の耳にはアと聞こえることもあり、オと聞こえることもあります。ウも2つあり、これも聞き分けが難しい。2種類並べて発音されれば、違いが分かる、ような気もしますが、1種類だけ発音されると、どちらなのか弁別できません。
「やっぱりダメだなあ」とがっかりしていたところ、ハングルで「ありがと!」は「コマウォ」と言いますが、「テンキュ」とも言うことを知りました。テンキュは、thank you のこと。日本語では「サンキュー」 日本語がサと表記するところ、ハングルではテと表記する。
英単語の中のaの発音には3種類あり(はっきりしたア、弱いア、エ)、thankのthaは「ア」より「エ」に近い音です。
「セーター」sweaterは「スウェト」と表記されます。スウェトのトは「アの口の形でオと発音する感じのオ」 なのでスウェタにも聞こえます。Sweaterのterは、弱いアの音です。
どうやら、お隣の国の人たちは、母音の数が多い分だけ、英語の聞き取り能力も優れているようです。「だから私がアイウエオでしか聞き取りができないのは、しょうがないことだ」と開き直りたくなりますが、そんなことはありませんね。シンフォでフランス語の歌を歌うとき、真﨑さんが発音指導してくださるように、耳のいい方はどこの国にもいて、みんなが母語の発音に縛られているわけではありません。
犬の散歩をしながら、初級講座を永遠ループで聞いていると、すこーしずつ、オとオの違い、ウとウの違いがわかる、ような、気がしてきます。オとオをちゃんと発音できないと、「コーヒー(コッピ)」と言ったつもりが「鼻血(コッピ)」になったりします。コーヒーの「コッピ」のコは、「アの口の形でオを言う感じ」のオ、鼻血の「コッピ」のコは、「口をつきだしてオ」なのです。もちろん、実際の現場で「コッピください」と言えば、「鼻血」と聞こえたとしてもコーヒーをもらえると思いますけれど。
(coffeeがなぜコッピなのか。それは、外来語Fに対応する文字がハングルにはないからで、Fにはpにあたる文字を使う、と決まっているからだそうです)
【編集後記】 2月に真﨑さんとお話したとき、「遠い国物語」は、いよいよストラスブールの町の広場の話になる、という予告をお聞きしたのですが、なかなか気力集中力が戻られないということで、2月号は休載となりました。今号も、TUTTI救援者の山内さんが助けてくださいました。皆々様、3月号への御寄稿、よろしくお願いいたします<(_ _)> (岡田)